「雀が丘」はどうなる?

タス通信撮影

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モスクワはその顔立ちを変えつつある。市当局は、昔から熱烈なファンがいる人気スポット「雀が丘」をも変容させる。雀が丘は自然保護区だ。86ヘクタールに及ぶ保護林に、珍しい種類の植物や動物、そして鳥が生息している。スキーのジャンプ台をそなえたスポーツ競技場もあり、これらはみな巨大都市のど真ん中に位置しているのだ。長い間場所は、けもの道にインフォメーションスタンド、木造の東屋といった風景だった。しかし今や、公園の「整備」が始まった。

かつての雀が丘 

 スキーのコーチ、アンドレイ・ザグリャシスキーさんは、スポーツ競技場の敷地内の小道を走っていた。彼は「最初の雀が丘びと」と呼ばれ、子供の頃からこの近所に住んでおり、他の人が自分のアパートの中庭で過ごすのと同じくらいの時間を、この公園で過ごしていたという。

 「75年のことでした。練習の後、まだ小さかった私たちは、当時まったく柵のなかったモスクワ川に向かって走っていました。もちろんそこで泳ぐために」。アンドレイさんは回想する。「そして帰り道は当時5コペイカで乗れた地下鉄にのって、1個19コペイカのアイスクリームを買っていました。母がくれた25コペイカでそれらすべてができたのです。あの頃、このあたりはりんご畑しかありませんでしたね」

 ソ連時代から、雀が丘は自然とスポーツのオアシスだった。管理当局の手が公園にまで届かない間は、何もかもがシンプルで、ソ連的だった。

 「ここはオアシスですよ」。アンドレイさんは続ける。「都心にあって、都市ではない。現代的なものなどここには必要ない。100年前と同じように道があり、木がある。それで良い。ここにはアスファルトも、砂利も、鉄も要らない。草木、葉っぱ、けもの道、砂を撒いただけのサッカー場、それらも、あるに任せれば良いのです」

 アンドレイさんの言う「私たち」とは、彼と同じ「根っからの雀が丘びとたち」、つまり未開で無垢なこの公園を、ソ連時代から変わらず愛する人たちを指すのだろう。

 「私たちは自然を欲しているのです」。アンドレイは語る。「しかし、彼らは快適さを求めているのでしょう」

 「彼ら」、アンドレイさんがこの言葉によって指すのは、公園の新しい管理当局のことだ。

 「私が公園で見かける、ここを散歩する人々は、みな顔見知りです」。年金生活のスポーツマン、アレクセイ・アレクセーエヴィチさんは、長い年月の間に形づくられた、この雀が丘の「精神」について、このように明かす。「ここには自然と、その独自の文化があります。しかし、これからはそうでなくなってしまうかも知れない…」

雀が丘

雀が丘は、モスクワ南西部を代表する地区の名前で、モスクワ川右岸、高さ80メートルほどに位置する。19世紀の終わりからの有名な別荘地で、モスクワっ子たちの保養地でもある。1935年から1999年まで、雀が丘はウラジーミル・レーニンの名からレーニン丘と呼ばれていた。それにもかかわらず、「雀が丘」の名は人々の日常的な呼び名であった。1949年から1953年には、雀が丘地区にモスクワ国立大学と展望台が建設された。現在その展望台は、結婚式を終えたカップルとその親戚友人の行列が訪れるお決まりのスポットのひとつであり、また特定の趣味をもつ人々のグループ(モトクロスやストリートレースのファンなど)にとっての聖地でもある。1987年に雀が丘(レーニン丘)は自然記念公園と宣言されたが、そのさらに11年後には「雀が丘国立自然保護・禁猟区」となり、この土地の自然を特別に保護することが宣言された。現在この自然保護区では、自然環境とモスクワの歴史的遺産の保護に向けた一連のプロジェクトが進行中である。このように都心近くでありながら、原生広葉樹林とその固有の動植物が特別な保護のもとに管理されている地区は、モスクワには他に存在しない。

 

これからの雀が丘 

 新しい管理当局は、まだ動き始めたばかりだ。雀が丘の新しい管理当局は、その地区を有名な「ゴーリキー・パーク」と一体化しようとしているように見える。「ゴーリキー・パーク」総裁であるオリガ・ザハーロワ氏は、「雀が丘」も担当しており、「雀が丘びと」との話し合いで、彼らが直面する変化について以下のように述べた。

 「すでに我々は住宅・公共事業部に対して、競技場施設への十分なライフラインの敷設に関する書類を提出しました。これまでこの場所にインフラというものはまったくありませんでした。この計画は雀が丘に照明を設置し、スポーツ競技施設と道路ネットワークをつくる準備をするものです。我々は現存するスポーツ競技施設に大規模な修復を行うことになります。現在雀が丘に所在し、劣悪な状況にあるグラウンド、サッカー場、道路などはみな修復されます。児童のための運動施設なども設置されます。なぜなら、現存する老朽化した施設はその要求に応え得ないからです。要するに、我々はこの地区を整備するのです」

 20世紀半ば、ソ連のスポーツの発展に寄与したこのスキー施設。この周囲を巡っている展望台に沿って、高く堅固なネットがそびえ立っている。児童スポーツ学校と、ソリやスキー、スノーボード用の斜面は、塀によって囲まれ、至る所に無線機を持った警備員が目を光らせている。

 「ちゃんとした場所で滑りたいのなら、そのためのサービスがあります」。「ゴーリキー・パーク」の副所長で雀が丘を担当するニコライ・チュガイ氏は言う。「相応の料金を支払えば、ロープウェイにのることだってできる。高くもないし便利だ。実際皆喜んでいる。都心でこんなに安い値段でスキーができる、と、そういう意見がたくさん来ている」。新しい雀が丘の管理者は続ける。「塀と、観客が移動できるゾーンがあります。どうぞ来て下さい。ただしその移動は規則に従って下さい」

 

自然か安全と快適さか 

 自然保護区に新しい建造物を建てることなど許されない。そこで新しい管理者は道路を修復し、ゴミ箱やベンチ、街灯を設置して設備改善を行うという。アンドレーエフ池の岸にある展望台では、以前のようにスポーツができる。しかしおそらく、ニット帽をかぶってジョギングする、ソ連時代から鍛え上げたスポーツマンはもうめったにいない。新しい管理者は、入場者たちに、これまで以上に最新の種々のスポーツ・エンターテインメントを約束している。これからの入場者はノルディック・ウォーキングやサッカー、屋外アスレチック、サイクリング、スケートボード、ローラースケート、アイススケートやベロモービルも楽しむことができると彼らは請け合う。またコテージ地区やラウンジを整備し、テラスをつくり、自然景観設計舎を開設し、アンドレーエフ池にヨットを浮かべるという。ハンモックやデッキチェア、テントを設置することも計画している。

 何にしても、かつてここには、どこでも好きなところを歩き、またスキーが出来る、未開の森に囲まれた自由な山とけもの道があった。しかし今は塀に囲まれ、きちんと整理され、クレーンが立ち、チケットかパスがなければ入れなくなってしまった。手つかずの自然は快適さに変わり、自由は安全に取って代わられたのだ。