「ワートニク」の七変化

アレクセイ・クデンコ撮影/ロシア通信

アレクセイ・クデンコ撮影/ロシア通信

20世紀のロシア人にとって、ワートニクは、単なる衣服ではない。それは、民族の結束とパワーのシンボル。

1 ビザンチンの名残 

 この防寒用に綿を入れて酢を沁み込ませたキルティングの亜麻製の短い上着は、10世紀からビザンチンの歩兵の制服だった。昔のワートニク(別名チェログレイカ)は、軽い鎧の役割を果たしており、たしかに、矢を防ぐことは無理でも短刀や斧の一撃から命を守ってくれた。歴史家らによれば、それは、11~12世紀にビザンチンからロシアの諸侯の従士団へ伝わったが、モンゴル・タタールの襲来の影響を受け、「ビザンチンのワートニク」は、ロシアの軍服から跡形もなく姿を消した。

 

2 中国製 

 現代のチェログレイカは、おそらく、日露戦争の際にお目見えした。満洲へ配置されたロシア軍の部隊は、現地の住民たちの便利で暖かい綿入れに注目し、地元の商人たちからそれらを購入することにした。戦時体制が解除されると、中国の「ちゃんちゃんこ」は、ロシア帝国じゅうに広まり、真の「カルト」のための土台を築いた。のちに、ワートニクは、第一次世界大戦や国内戦で着用された。 

 

3 規格化 

 1932年、ソ連軽工業人民委員部の規格化委員会は、次のようなワートニクの規格を導入した。「チェログレイカは、ストレートカットの綿入りのシングルの上着で、左の打合せにある四つの縫付け紐で四つのボタンを打合せに沿って上まで締める。裾は、ノータックのストレートで、両脇に貼付けポケットがあり、パラレルな縦のミシン目で表地、綿、裏地が刺子縫いされる。キルティングの間隔は、6センチ。背は、ストレートで継ぎ目がないか、真ん中に縦の縫い目があり、腰は、金属のバックルを持つ締め具で締められる。背のキルティングは、裾と同様。襟は、柔らかいスタンドカラーで、襟の左端に縫付けられた輪で一つのボタンを締める。襟の高さは、3センチ。袖は、シングルステッチで、下の端に小さい切り口とカフスがあり、カフスは、カフスの上半分の端に縫付けられた輪で一つのボタンを締める」。当局は、ワートニクは労働にも戦争にも打ってつけの理想の衣服とみなしており、チェログレイカは、事実上、白海バルト運河の建設作業員の制服となった。

 

4 浮浪者の服 

 「スタンダードな」チェログレイカは、商人が愛用していた「シビルカ」(短いカフタン)と御者が纏っていた「ヴォラン」の言わば「ハイブリッド」。作家ギリャロフスキーは、この衣服を次のように描写している。「満腹の高級辻馬車の御者たちが、高価な羅紗の不恰好なヴォランを纏い、シルクの刺繍帯を締め、誇らしげに道行く人々を眺めている…。ヴォランは、怒った主人がお抱えの農奴の御者を拳骨で殴ったり足で背中を蹴ったりしていた、とうに忘れられた時代に、お目見えした。当時、御者は、これでもかというくらい綿を詰められたヴォランのおかげで、不具にならずにすんでいた…」。ヴォランがさまざまな浮浪者や悪党たちの「ユニフォーム」になったのは、興味深い。ワートニクは、喧嘩の際、パンチの衝撃をかなり和らげ、ナイフの一撃から身を守り、しかも、路上の暴漢にとって欠かせない軽快なフットワークを妨げなかった。

 

5 勝者の服 

 1930年代、チェログレイカは、さかんに映画に登場しはじめる。たとえば、大当たりの映画「チャパーエフ」では、アーンカとペーチカがワートニクを着ており、ほかの当時の「ブロックバスター」でも、ワートニクがちょくちょくお目見えする。しかし、大祖国戦争は、チェログレイカを勝者の服にし、それを真の「カルト」に変えた。まさにチェログレイカを纏って、ソ連は戦後の廃墟から復興し、新しい都市は成長し、ソヴィエト帝国は形成され、大学の教授も田舎の牧夫も、ワートニクを着用していた。

 

6 囚人の服 

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 戦後も、ワートニクは、人々に長いこと愛用されつづけたが、もっとも広まったのは、ラーゲリ(収容所)においてだった。囚人たちは、その内と外のポケットに貴重品をしまっておくことができ、ワートニクは、枕にも毛布にもなった。「番号つきの」ラーゲリの作業服は、その頃から囚人や流刑人たちの何よりの「マーカー」となり、ソルジェニーツィンやシャラーモフやブロツキーといった作家や詩人にも、チェログレイカ姿の写真がある。

 

7 リヴァイヴァル 

 今日、ワートニクを着る人は、ほとんどいない。もしかすると、それは、1980年代末のネガティヴなコンテキストに原因があるのかもしれない。当時、ワートニクを着た者たちが、ヴォルガ川流域やカザンからモスクワへやってきたが、その背には、彼らが所属する徒党の名が記されており、彼らは、人々に恐れられ避けられていた。カザンの徒党は、モスクワへ「稼ぎ」にやってきたのだが、動きやすく拳骨の衝撃を和らげてくれるワートニクは、彼らにとって、何よりの「仕事着」であり、文字通りの「勝負服」だった。

 ソチ五輪の開会式でロシア選手団がチェログレイカ風のユニフォームを着ていたのも、偶然ではなさそうだ。集団的本能において、ワートニクは、マスコットやパワーの原型となり、つねに人々を結束させる役目を演じてきたのだから。

 

元記事(露語)