ショスタコービッチのとんでもオペラ

「オランゴ」はショスタコービッチの祖国ロシアでの初演は3月28日 、フィンランド人指揮者エサ・ペッカ・サロネン指揮の下、モスクワ音楽院で行なわれた。=アレクサンドル・ガイドゥク撮影/ロストロポーヴィチ・フェスティバル

「オランゴ」はショスタコービッチの祖国ロシアでの初演は3月28日 、フィンランド人指揮者エサ・ペッカ・サロネン指揮の下、モスクワ音楽院で行なわれた。=アレクサンドル・ガイドゥク撮影/ロストロポーヴィチ・フェスティバル

群衆の笑いの渦のなか、サルのオランゴがソビエト宮殿前を歩く。「これはただのチンパンジーじゃありません!」。サーカスの団長は観衆に叫ぶ。オランゴはナイフとフォークで食事をし、鼻をかみ、ロシアの童歌「チジク・ピジク」を歌う事も出来る。半猿半人のオランゴは、グロテスクな資本主義の実験結果であり、モスクワ・サーカスで飼われている――。

 これが、ドミトリー・ショスタコーヴィチによる未完のコミック・オペラ、「オランゴ」のあらすじだ。1932年、ボリショイ劇場が10月革命の15周年記念作品として「オランゴ」を委嘱したものの、プロジェクトはすぐに放置される事となった。モスクワのミハイル・グリンカ中央音楽博物館に勤める音楽学者のオルガ・ディゴンスカヤさんが2004年にアーカイブでプロローグのピアノ譜面を見つけるまで、「オランゴ」は忘れ去られていた。

 

偶然の発見 

 ディゴンスカヤさんはこの発見を「信じられない様な幸運」だったと言う。

 「手足が震えていました。シャーロック・ホームズの様な気分になりました」。彼女は当時をこう振り返る。

 2011年、ロサンゼルスで世界初演が行なわれた。ショスタコービッチの祖国ロシアでの初演は先週金曜日、フィンランド人指揮者エサ・ペッカ・サロネン指揮の下、モスクワ音楽院で行なわれた。オーケストラはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、合唱はロシアのユルロフ記念国立アカデミー合唱団だった。

 「ようやくロシアで、ロシア語で、ロシアの聴衆の前で演奏する事が出来、大変嬉しいです」。ショスタコービッチの未亡人、イリーナさんは開演前にこう語った。コンサートは、「米露文化の年」とロストロポーヴィッチ国際音楽祭の一環として行なわれた。

 

ソ連の実在の科学者をもとに 

 ミハイル・ブルガーコフの小説『犬の心臓』の様に、「オランゴ」は1920年代の夢想的な科学を風刺した。特に、猿と人間のハイブリッドを作る実験をしていた実在のソ連の科学者、イリヤ・イヴァノフをもとにしている。 メスのチンパンジーを人間の精子で妊娠させる実験の為にアフリカに派遣された後、イヴァノフはスフミで類人猿研究所を設立し、逮捕される1931年まで実験を続けた。
黒海で旅行をしている際、ショスタコービッチはイヴァノフの研究所に立ち寄ったが、家族に宛てた手紙では「感心しなかった」と書き、すげない反応を示した。しかしその数年後、アレクサンドル・スタルチャコフとアレクセイ・トルストイが台本を手掛ける「オランゴ」の委嘱を受けた際、イヴァノフの研究所を見た経験はいかされた。

 プロローグでサーカス団長は、スターリンの実現しなかった巨塔「ソビエト宮殿」の前の広場で、オランゴの生い立ちを説明する。オランゴはフランス人科学者の実験で作られたという設定。彼は新聞王として巨万の富を蓄えたが、野蛮で猿の様な性格が目立つ様になり、やがてサーカスに売り飛ばされた。プロローグの終わり、観衆の「笑え!笑え!笑え!」というヒステリックな叫びがこだまするなか、半猿半人のオランゴはパニックに陥り、呼吸困難になる。

 

ショスタコービッチの面目躍如 

 「精巧かつドラマチックな作品で、驚かされた」。イリーナ・ショスタコービッチさんに依頼され、ショスタコービッチのピアノ譜をオーケストレーションしたイギリス人作曲家、ジェラルド・マクバーニーさんはこう語る。マクバーニーさんはこれまでにも、劇付随音楽「予定殺人」を含む、いくつかのショスタコービッチの未完成の曲をアレンジした経験がある。

 マクバーニーさんによると、「オランゴ」には当時ショスタコービッチが手掛けていた他の実験的作品からの引用が多い。「予定殺人」、オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」からの音楽や、ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」を含むロシアの有名曲のパロディーがある。

 「これはすごい、これは斬新だ、と思うところが何カ所もあった」。マクバーニーさんは語る。「ショスタコービッチは恐れ知らずな音の曲芸師だった」。

 指揮者のサロネンによると、「オランゴ」は「スタイルの途方もない融合」であると言い、ベルリンを訪れた際にショスタコービッチが聴いたジャズやクルト・ワイルの音楽の影響があると指摘した。

 「遊園地で引きずり回される様な感じね」。オランゴのパリの社交的な妻スザンナを演じたメゾソプラノのサリー・シルヴァーは語る。

 

スターリンの粛清の波のなかで 

 なぜ「オランゴ」が放置されたかは謎に包まれたままだが、作品の鋭い風刺が一つの要因であった可能性は高い。雄大な音楽に皮肉なジョークを織り交ぜることにより、ショスタコービッチは当時計画されていたソビエト宮殿のような虚栄を揶揄したからだ。「委嘱されたのは15周年記念の作品だったが、ショスタコービッチの書いていたものはパロディーだった」。マクバーニーさんはこう説明する。

 1932年の終わり頃には社会主義リアリズムへの流れが強くなり、「オランゴ」の様なオペラのスタイルは時流から外れつつあった。1936年、ショスタコービッチの「ムツェンスク郡のマクベス夫人」は、共産党中央委員会機関紙「プラヴダ」に掲載された悪名高い社説「音楽のかわりに荒唐無稽」で酷評された。翌年、スターリンの粛清で脚本家のスタルチャコフが銃殺された。

 当初、ディゴンスカヤさんは「オランゴ」の初演がモスクワのゲリコン・オペラで行なわれる事を希望していたが、資金が足らず、実現しなかった。「モスクワが3番目(ロサンゼルスの世界初演の後、ロンドンでも演奏された)だったのが残念」と彼女は言った。


 しかし、今後、ロシアのオーケストラも「オランゴ」を手掛けるかもしれない。「これからみんな演奏したがると思う」。ロストロポーヴィッチ国際音楽祭ディレクターのオリガ・ロストロポーヴィッチさんは言う。マクバーニーさんによると、興味を持ったロシア人指揮者の中にはヴァレリー・ゲルギエフもいる。

 今でもディゴンスカヤさんは、ショスタコービッチのアーカイブを調べて続けている。

 「更に発見があると私は確信しています」。モスクワ音楽院大ホールから出て来る聴衆を見ながら、彼女はこう語った。