タス通信撮影
世界中で自分らしさが求められる中で、ロシアでは経済的な激変に起因する自己実現が盛んになっていった。トルコや東・東南アジアから商品が大量に流れ込み(質や上品さが最高レベルとは言い難いけれど)、おしゃれな女子たちは自由なスタイルを楽しむことができるようになった。
若い女性たちの比較的控えめな標準スタイルは、ルーズなポニーテール、大胆なプリントの入った大きめのTシャツ、色あせジーンズ。その後多様化し、アシッドカラーのTシャツの下の部分を10~15センチメートルほど縦に細くカットしていき、プラスチックの小さなカラークリップで装飾するのもはやった。
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ジーンズを煮る?
色あせジーンズはロシア語でヴァリョンカと呼ばれるが、このもともとの意味は「煮た物」で、実際におしゃれな人は青いジーンズを家で煮ていた。ジーンズの代わりのボトムスとして大流行したのが伸びるレギンスで、1トーンのターコイズブルー、ピンク、ネオングリーンから、ヒョウ柄やレインボーまで、さまざまな種類があった。体型や動きの度合いを考えることなく、レギンスにはワイドなプルオーバー、ジャケット、ミニスカート、ショートトップなどのさまざまなアイテムが合わせられた。
「令嬢ターニャ」=写真提供:kipoposik.ru
少し上の世代は映画「令嬢ターニャ」(1989年)風ファッションに夢中だった。ストリート・スタイルはディスコのイメージだった。ミニスカートに網タイツ、肩幅の広いカラージャケット、毛皮の縁取りのあるショートブーツ。どのアイテムもたくさんのプリント、装飾的要素、人造宝石のついたカラフルなもので、ここにファスナーが斜めについたレザージャケットからレザーブレスレットまでの、さまざまなレザーアイテムが合わせられた。
さらに上の世代はエレガントな装いをしていたが、人造宝石や刺繍のついたトルコ製ジーンズなどもはいていた。一番人気だったのは、鮮やかな色の長持ちする合成製品。ショップでは、「合成繊維が大好き。着心地が良いし、見た目も素敵」と喜ぶ声が聞こえたものだ。ソ連の縫製工場で好まれていたのは、しわになりやすく、色彩に乏しく、体にきれいにフィットしない天然素材。このような布に長所はあるが、短所も目立った。
ファッションもソ連時代の反動
ソ連崩壊後のストリートファッションと言えば、体にフィットするカット。セクシーな格好が禁じられていた反動で、ストレッチ素材のトップスとぴったりジーンズを組み合わせるなど、女性は大胆な装いをするようになった。このようなスタイルは全国的に愛されていた。
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今日では多くの老人がジーンズをはくようになったが、1990年代までこれは若者の服装だった。高齢の女性はワンピース、スカート、クラシックなズボンを着用していた。
若い男女は色あせジーンズ、Tシャツ、肩幅の広いレザージャケット、スポーツウェア、スポーツ風アイテムを身に着けていた。標準的な中年男性は、ダークカラーのジーンズまたはスポーティーなボトムス、クラシックな靴またはサンダルと季節に応じてそれに靴下、シャツ、カーゴベスト、男性用パースというスタイルに、レザージャケットまたはコートを羽織っていた。
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