ナタリヤ・ポクロンスカヤ氏に聞く

ナタリヤ・ウラジーミロヴナ・ポクロンスカヤ氏(33)は3月11日、クリミア自治共和国検事総長に任命された=タス通信撮影

ナタリヤ・ウラジーミロヴナ・ポクロンスカヤ氏(33)は3月11日、クリミア自治共和国検事総長に任命された=タス通信撮影

ナタリヤ・ウラジーミロヴナ・ポクロンスカヤ氏(33)は3月11日、クリミア自治共和国検事総長に任命された。それまでに4人がこのポストへの就任を拒んでいたため、クリミア検事局は2週間にわたり、責任者不在の状況にあった。きゃしゃで、上品で、純粋な大きな瞳で見つめるポクロンスカヤ氏は、厳しい上司というよりも、おとぎ話の優しい仙女のようだ。この外見と声で、日本とロシアのインターネット上で瞬く間に有名人になってしまった。だが検事局ですでに12年のキャリアを持つ。一連の恐ろしい犯罪を捜査しており、極めて残酷な計画殺人で起訴された犯罪集団「バシマキ」の検事も務めた。

-他にも検事総長の候補者がいて、就任を拒んでいたというのは本当ですか。

 本当です。ただ拒んだ理由はわかりません。私が承諾したのは、キエフで見たすべてのこと、国の新政府がやったすべてのことが、私にとって野蛮な行いだったからです。この無法状態にがまんできず、人々に保護、法律、平等があること、政府つまり国民が存在していることを示したかったんです。

 キエフでよくわからない手段でこの政府を奪取した個別の集団や人々ではなく、国民のためだけに私たちは活動しなければなりません。野望のある人、打算的な目論見のある人、民族主義の人がいますが、一般の国民は無関係です。独立広場の人々はゾンビ化してしまいました。打撃具や武器を手に持って国家機関を襲撃することが、平和的なデモなんでしょうか。これらすべてのことが、正しいと考えられています。

 私たちの上司は、私たちにノンポリになれと言いました。私は確かにノンポリですが、法の番人でいなければなりません。独立広場みたいにふるまえば政府を奪取できるなんて、国民が考えないようにです。今回はシャベル、大クマデ、火炎瓶を持って、破壊活動をしていました。その結果、誰を選んだのでしょうか。誰がこの人たちの指揮をとっているのでしょうか。よくわかりません。

 このポストに就任するとすぐに、クリミアのベルクト(特殊部隊)から、彼らが重傷を負わされたという届け出を受け取りました。亡くなった人もいます。私たちは今、裁判前捜査を行っています。ウクライナには法律があるということを人々に示すため・・・いえ、ウクライナに法律はありません。独立したクリミアに法律があるのです。クリミアはもうすぐロシアの一部になるでしょうから(インタビューが行われたのは、クリミア編入条約に署名が行われた日)。ウラジーミル・プーチン大統領がクリミアはロシアだと宣言することを、期待しています。

 

-ご結婚はされていますか。お子さんはいらっしゃいますか。

 離婚者です。娘がいますが、安全のために、これ以上はお話できません。

 

-キエフではポクロンスカヤさんがクリミアに行ったことを、刑事事件として立件しようとする動きがありますね。

 ネットで私についてひどいことがたくさん書かれています。私はウクライナ総検事局で検事長として働いていた時、2014年2月25日付けで退職届を書きました。ギャングが通りを堂々と歩くような国で暮らすのは恥ずかしいと書きました。

 この時はクリミアからいかなるオファーも受けていませんでしたし、どこで働くかもわかりませんでした。ただこの退職届に署名をしてもらえなかったのです。『ナターシャ、君はたくさん心配してちょっと疲れているんだ。休暇をとって休むといい』と言われました。ですが私は退職届と「ゲオルギー・リボン」(独ソ戦争の勝利記念や親ロシアを意味するリボン)をポケットに入れて行き、考えが変わらないことを伝え、リボンを見せました。そしてウクライナ総検事局でリボンをつけたのです。その後クリミアの実家に戻り、人々を助けるため、キエフのような混乱を防ぐために、クリミア政府の一助になりたい旨を伝えました。そうしたら、突然検事総長に任命されたのです。同日、キエフで私が立件され、解雇されたことを知りました。

 

-キエフの同僚はポクロンスカヤさんのことをどのように受け止めていますか。

 自分の市民としての立場を表明したくても、さまざまな理由からできない同僚もいます。総検事局は今でも私の同僚に電話をかけて、ポクロンスカヤにしたがったら逮捕する、と脅しているそうです。私には子どもも家族もいるからと、泣く泣く諦めている同僚もいます。

 

-ポクロンスカヤさんは怖くはないんですか。

 娘が私のことを誇りに思えるように、ロシア連邦という偉大な国で暮らしていることを誇りに思えるように、独ソ戦争で亡くなった方を追悼できるように、独ソ戦争で亡くなった私の2人のおじを追悼できるように、そして記念碑が壊されないように、できる限りのことをするだけです。

 私が恥ずかしく思っていた強盗集団、裏切り、民族主義の国ではなく、娘には正直な国で暮らしてほしいです。私の86歳の祖母は電話をかけてきて、占領時代が戻ったと泣いていました。祖母はドイツ兵のこと、ウクライナのドイツ軍迎合者のことを覚えています。私が制服を着て「ハルィチナ」に仕えたりしたら、祖母の目を見れなくなります。それを考えれば怖くはないです。