マルセイユ・シマノ料理長=オクサナ・ユシュコ撮影
白い前廊から穏やかな黒海の景色が広がる。水辺には白い客船。甲板の灯火は水面を黄色に色づける。たそがれ時になると、地元の人が子どもを連れて、海岸部を散歩する。写真を撮る人もいて、外国語が聞こえてくる。
つばの広い帽子をかぶった女性が、誰かに説明をしている。「これはホテルです。客船にはボランティアが滞在しています。私はソチの出身者ですが、街が大きく変わったので、もう1ヶ月もおしゃれをしては散歩に出て、雰囲気を満喫しています」
客船を一通り見学した人々は、カラフルな灯火に照らされた遊歩道を進む。外国人の多くは、「エスカルゴ」、「ムール貝」、「フランスのデザート」と表示のある、ガラス張りの海辺のレストランの前に立つ。ここは「ブリガンチナ(Brigantina)」。入口の壁には、ドミトリー・メドベージェフ首相と並んで笑顔を見せる、白いコックコートを着た丸顔の男性の大きな写真が飾ってある。
ダリからメドベージェフまで
厨房からあらわれたのは、マルセイユ・シマノ料理長。あの写真の丸顔の男性だ。「私は最初にモスクワのレストランで働いていた。ロシアに来てとても驚いたよ。モスクワは私の国の新聞に書かれているようなところではなかった。通りで人殺しはないんだね。ただひとつだけ問題があった。今日は必要とされてるけど、明日になると『さようなら。他のコックを雇います』って言われる可能性があるということ。私はボスにこう言われて、モスクワからソチに来たんだ。私の出身地であるフランスのニースよりも、ここの方がずっと安全だと感じる」
「主に観光客相手ですか」と私は聞いてみた。店内ではどこかの国のグループが席を立って、今度はイタリア語を話す客がそこに座っていた。
「いやいや、旅行客相手じゃないよ。やたらと節約するしね。アメリカのアーカンソー州から来て、なんで料理にビネガーを入れないんだなんて聞いてくる。ウークスス、ウークスス、ウークスス!」と、英語とフランス語を交えて話していたのに、突然ロシア語を話しだす。ウークススとはビネガーのことだ。「私のお客さんはソチの人だよ。富豪ではない人。中には富豪もいるけどね。フランスとか、ヨーロッパを一通りまわった人たち。このような人たちはもうカエルの足だって現地で食べている」。
「有名人は来ますか」と写真を見ながら聞いてみた。
「来るよ。ドミトリー・メドベージェフ首相。以前クラスナヤ・ポリャナで働いていたんだけど、そこで首相が私の料理を食べて、その後機内用に持ち帰りもした。こちらのレストランにも来ているし。ニースにいた頃は、ある有名なレストランでウェイターもしていたけど、顧客にはベルモンド、イヴ・モンタン、サルバドール・ダリがいた」
「私にとってソチとは小さなニースなんだ!」
「なぜニースに残らなかったのですか」と聞く。
「ナローギ、ナローギ、ナローギ」とまたロシア語で答えた。ナローギとは税金のこと。「少なくともソチではお金に触れて、自分が何のために働いているかを理解することができる」
スペインのリゾート
ソチの鉄道駅=Lori/Legion Media撮影
遊歩道のベンチに肉付きの良い男性が座り、穏やかな表情で遠くを見つめている。その視線の先を見ると、そこにはソチの鉄道駅の尖塔があった。考えごとをしている男性に話しかけてみると、自己紹介を始めた。
「私はマーク・プリーストリー。イギリスから来た。ソチにはすでに3ヶ月いるよ。うちの会社は五輪を放送するテレビのケーブルを敷設している。ロシア政府が五輪にどれぐらいの費用をかけたかは、イギリスでは誰でも知っている。ソチはずいぶん変ったね。ソチはスペインの小さなリゾート地をほうふつとさせる。ヤシの木、地中海…」こう言いながら再び鉄道駅の尖塔に夢見るような視線を送る。「ここはお祝いと休息の街。ロシア人のことを知るべきだね。3ヶ月滞在してわかったことは、自分からロシア人に微笑みかければ、相手も微笑み返してくれるってことさ。ロシア人が自分から微笑まないのは自己防衛。ところであなた方ロシア人は何か不満そうだけど、ソチについてどう思ってるの?」
私はこう答えた。「ソチはヨーロッパ・レベルの街になったけど、五輪が終わった後、こういうのに慣れていない地元の人たちが、どうやってこの快適性を活かせるかがわからないので」
「待つしかないさ」と意味深長にプリーストリーさんは答えた。「必ず効果が出てくるから。以前はお金持ちのロシア人だけがスキー・リゾートでの休暇を許容できていた。ソチ五輪が終わったら、中流層の人もそれができるようになる」。
「3ヶ月間でお気に入りの場所は見つかりましたか?」と聞く。
「もちろん。例えば、この駅」と言いながら再度鉄道駅の尖塔を見る。「立派な建築だよ」
ぼんやりとした太陽が、橙色の丸屋根をつけながら、海に沈んでいく。今日は暖かくて晴天だった。太陽は光線を発しながら、著しく増加した、街を行き交う人々を温めていたが、日課を終えたようにリラックスして海の中に消えていく。日課を終えた太陽は、勤務を終えてベンチでくつろいでいたプリーストリーさんみたいだ。
アルマーニを着たソチ
「私はスイスから来た」とクラウディウスさん。ビジネス・コンサルタントだ。ソチ中心部のホテルのバーで一緒に座る。「私の妻はロシア人。ロンドンで知り合って、ロシアに移住することにした。最初にサンクトペテルブルクで暮らしたけど、ブルブル…私には寒すぎて。インターネットで条件に合いそうな街を探してソチを選んだ。ここは自由でいいね。スイスでは警察じゃなくて、市民が互いに監視しあって、指摘しあって制約をかけているから。ソチでは人々がリラックスしている。海洋性気候の影響だね。3年間で地元の政府や住民とモメたことは一度もない。最初は隣のおばあちゃんにあまり好かれていなかったんだけど、微笑んでいたら、そのうち私に慣れて、微笑み返してくれるようになった。ソチの暮らしは試練じゃないよ」
「ロシアについてちょっとポジティブすぎませんか」と聞いてみる。
「私の妻もそう言うんだ。だけどここの生活レベルは向上し、西ヨーロッパや1970年代のイタリアみたいになってきてるからね。正直に言えば、1年前のソチの方がずっと快適だった。あなたはちょっと冷評しているようだけど。確かにこの変化には多くの資金が投じられている。だけどロシアは、借金だらけのイタリア、ギリシャ、フランスとは違う。ロシアには資金力がある。ロシアには貧しい人々が暮らしている場所があることも知っているけど、外国人客が来る時、ロシア人は印象づけるように努力する。外国人に接する時に…」と言いながら私の服を見る。そしてこう続ける。「お金を持っていれば、アルマーニの店に行って服を買うじゃないか。女性はしっかりと化粧をする。たくさんの目が自分に向くことを知っているからね」
「つまりソチとはアルマーニを着たロシアだと?」と聞く。
「ロシアには汚職がある。だけどこの国はクレジット・カードじゃなくて現金でアルマーニを買っている。あと、ロシアが外国人客に対して行っていることは、もてなしじゃない。これはビジネスなんだ。ソチにはたくさんの若者がいて、世界を見たがっているかもしれないけど、旅行できるようなお金がない。自分たちから世界に行くのではなく、世界が自分たちのところに来る。それは悪いことかな?それを喜べないことなんてないだろう?」
クラウディウスさんがバーを出る。自身の車に乗って、「チタニク」という名の建物のわきを通過する。クラウディウスさんはこの建築をひどいものだと評するが、ここからのぞむ街の風景は最高なのだとか。確かにこの建物から見るソチは、高級ブランドを身につけた五輪開催国のよう。そして朝になって太陽がのぼると、別のソチの景色が広がってくるのだ。
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