日出る処からの眼差し

1965年、バイカル湖。日本人観光客=レフ・ポリカシン / ロシア通信

1965年、バイカル湖。日本人観光客=レフ・ポリカシン / ロシア通信

今日のモスクワは、外国人でも、いたって気楽に過ごすことができ、ロシア人も、通りで外国人を目にして珍しがることはない。それだけに、かつて遠方よりここへ移り住んだ異邦人のモスクワ観は、いっそう興味深く、いつまでも忘れがたい。ビジネスセンター「ジャパンハウス」代表の遠藤紀子さんは、ご自身のモスクワ大学大学院時代、不思議なソ連人たち、日本とロシアの食文化の違い、そして、ロシア人の幸福感について語ってくれた。

いざソ連へ

遠藤紀子さん

 私は、若い頃から国際文化プロジェクトに関心があり、その関係でまだソ連時代のモスクワへやってきました。当時、ソ連と日本の文化交流の機会は少なく、私たち日本人にとってロシア人はどこか謎めいて不思議な人たちに思えました。ソ連大使館へ足を運ぶようになったあるとき、ソ連では、教育費は国家がすべて負担し、医療費も事実上かからず、住居も国家から無償で提供される、と聞かされて、私は目を丸くしたものでした。

 当時はまだロシアと日本を結ぶ空の便はありませんでしたから、まず船で横浜からナホトカへ渡り、そこからソ連国内をハバロフスクそしてモスクワへと移動するのでした。初めてナホトカの町を目にしたとき、すべてが灰色や鉛色にくすみ、岸辺には木が一本もなく、人々が愁いに包まれているのに驚き、そこは、なんだかとても淋しい場所のように思えました。自分が目の当たりにしたものは、東京のソ連大使館で聞いていたものとは大違いでしたが、それでも悪い印象は生まれず、何から何まで違うと感じただけでした。

 

現実の壁 

 私は、日本の大学を卒業した後、モスクワ大学文学部の大学院へ進みました。クラスメートの欧州人や英国人や米国人は、すぐにロシア語が話せるようになりましたが、日本語はロシア語と構造が異なるため、私は、いちばん呑み込みの遅い学生でした。みんなは、早くも独りで食堂へ行ってロシア語で何かを注文するようになりましたが、私は、あいかわらず配膳台の前で食べたい物を指差していました。

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日本に対する固定観念

 日常生活の壁にぶちあたったのは、紙ナプキンやトイレットペーパーがなくなったときでした。大学の構内では売られていなかったので、寮の舎監のところへ行って、それらがどこで買えるか訊ねると、グム百貨店とのことでしたので、さっそくタクシーを拾って直行しました。「グジェー・モージノ・クピーチ・トゥアレートヌユ・ブマーグ(トイレットペーパーはどこで買えますか)?」というロシア語のメモをしっかり握りしめて…。

 グム百貨店の店員さんたちに教えられて、ようやくその売り場を捜しあてることができました。トイレットペーパーは、今でこそ便利な包装がほどこされていますが、ソ連時代の当時はロールに通した紐で束ねられており、商品を受け取った人たちは、その紐を首に掛けるのがふつうでした。トイレットペーパーの「首飾り」を提げた人たちがこちらへ向かって歩いてくる光景は、なんとも異様で滑稽でした。

 

ソ連人の幸福 

 ロシアでは、石鹸あるいはそうしたトイレットペーパーを手に入れることは、幸運とみなされていました。すべてそうしたものは、けっして高価ではないものの、商店にいつ現れていつ無くなるかは、まさに神のみぞ知るところでした。そこに、幸福感の違いがあります。日本では、それは自由からくる満足で、お金がなくとも選択肢はあります。一方、ソ連では、稼いだお金を費やす商品を見つけることが喜びで、「ドスタール(手に入れた)」というキーワードは幸福のシンボルでした。ソ連社会は、外からは貧しく見えましたが、人々には、内なる幸福がありました。なんとも奇妙に思えますが、私にはそう感じられたのでした。 

 

ソ連からロシアへ

 ソビエトってどんな国って日本人に訊かれると、私は、「ソ連では、赤いものが美しく、甘いものが美味しく、大きいものが素晴らしいの」と答えていましたが、そうした感覚も、まんざら的外れではないのではないでしょうか。当時、観光ガイドさんたちは、こちらに見えますのは世界一高いビルでございます、などと言っては、ソ連の工業力を誇示しようとしていました。もっとも、ソ連のデコレーションケーキの砂糖の量は、半端ではありませんが…。

 ソ連が崩壊したとき、私には二つの想いがないまぜになっていました。一方では、実業家の私にとって、ひじょうに楽しく心を込めて働いてきた人たちをようやく日本へ招待できたのは、とても大切なことでした。メディアもあまりうるさくなくなり、自分の肌に合うものを選べるようになりました。他方では、保証された無償教育の機会が失われたことは、大きな損失でした。ソ連では、事実上すべての人が教育を受けることができましたが、ロシアでは、教育のために初めてお金がかかるようになりました。市場経済は、ロシア国民をドライな拝金主義者にし、当世のロシア人は、何をするにも算盤を弾くようになりました。

 

ロシア気質 

 ロシア人は、他人に大きく心を開き、親戚や知人にとても優しく、男性は、昔と変わらず紳士的に女性に接します。ロシア人は、好いか悪いかイエスかノーかをはっきり言い、持って回ったり暈したりしません。ユーモアのセンスも抜群で、ことあるごとに冗談を飛ばしては、自分や周りの人々の心をほぐし気分を盛り上げようとします。

 とはいえ、もちろん、短所もあります。ロシア人には、すっかり打ち解けないうちは、相手に対してどこかよそよそしいところがきっとあります。プランや待ち合わせの時間といった約束事に対してもなにかとルーズで、ここが、日本人にはなんとも理解しがたいところです。日本が、定刻通りに運行する几帳面な列車だとすれば、ロシアは、停まったり走ったり遅れたり早めに出発したりする気紛れな列車といったところでしょうか。

 

ロシアと日本の食 

 日本とロシアでは、食文化も大きく異なります。主食は、日本がお米で、ロシアはパン。ロシアでは、ウィンナーにしてもハンバーグにしても半製品や出来合いのものによくお目にかかりますが、日本では、未加工の新鮮な食材を売るところが多いようです。

 日本では、至るところにある民族料理レストランで世界じゅうの料理を味わえますが、同じ店で異なる民族の料理が出てくることはめったにありません。ロシアでは、ちゃんとした寿司職人がいるとは思えないイタリア料理やフランス料理のレストランでお寿司を食べさせるところがありますが、原則として、私は、フレンチやイタリアンの店ではお寿司を出すべきではないと思います。

 また、日本の商店ですと、品物を手に取ったり、匂いを嗅いだり、包装の中味を覗いたりしなくとも、それが、品質管理を受けた新鮮で安心できる商品であることはたしかですが、ロシアでは、購入する前に日付をチェックして食べてもお腹を壊さないかを確認する必要があります。それから、日本では、和食は値段がとてもお手頃で、高級料理店でない限り、「安くておいしい」ものに舌鼓が打てます。一方、ロシアには、安かろう不味かろうでいただけないものがあるかと思えば、あまりに高くて喉を通らないものもあって、なんとも不思議でいかにもロシアらしいですね

 ともあれ、私は、ロシアが大好きです。

 

記事全文(露語)