ファッション界のロシアのシンデレラ

「わずか31歳で3人の子供がいて、キャリアを積んでいて、自分の財団まで持ってるの?」と多くの人が驚く。=AP通信撮影

「わずか31歳で3人の子供がいて、キャリアを積んでいて、自分の財団まで持ってるの?」と多くの人が驚く。=AP通信撮影

スーパーモデルのナタリヤ・ヴォジャノワは、ロシアのシンデレラだ。そのつぶらな瞳のベビー・フェイスを、世界のさまざまなファッション・シーンで目にしてきた。

 ニジニ・ノヴゴロドの貧しい家庭で育ったヴォジャノワは、パリのファッション界のトップモデルとなり、イギリス有数の富豪で、第10代ポートマン子爵の異母弟である貴族のジャスティン・ポートマンと結婚。2人は内々のパーティーで知り合って結婚し、3人の子供に恵まれて、家族でさまざまな雑誌に登場した。

 

外見に似合わない苦労人 

モデルとは美しさだけでなく、個性や興味

深いストーリーがなければあまり高く評価

されない。ヴォジャノワにはすべてが

あった。=EPA撮影

 「わずか31歳で3人の子供がいて、キャリアを積んでいて、自分の財団まで持ってるの?」と多くの人が驚く。苦労した時代を知らなければ、きっと短期間で簡単に成功したように思えるだろう。ワンルームのフルシチョフカ(ニキータ・フルシチョフ第一書記の時代に建設された安普請)で母と体の不自由な妹と3人で暮らし、学校に通いながら、市場で果物を売って生活費を稼いでいた。16歳の時に収入を求め、ニジニ・ノヴゴロドのモデル事務所に行った。1990年代後半は、民間ビジネスが活発になり、広告やプロモーションへの関心が高まっていた時代だ。モデルはスーパーの試食会やくじ抽選会などの、さまざまなプロモーションに招かれていた。収入は多くないが、外見のアピールで何とかなるかもしれない、すべてがうまくいくと楽観的にとらえていた。

 

シンデレラ・ストーリーの始まりは 

 ある時モスクワの写真家2人がフランスのモデル事務所に依頼され、ニジニ・ノヴゴロドのアカデミーでオーディションと撮影を行うこととなった。これを知ったヴォジャノワは、ミニスカートという条件に合わせて、間に合わせ的に家にあった服を裁断し、縫ってスカートをつくり、それを着てオーディションに参加。その後モスクワから、パリに行くことをすすめられた。

 パリに行ってしばらくは、1日何本もオーディションを受ける日々が続いたが、ある時ジャンポール・ゴルチエ本人がヴォジャノワに気づく。「か弱さとセクシーさ、子供と女性が一体化している」。その後女性誌「エル」ドイツ版の撮影があり、ニューヨークのファッション・ショーにも参加した。ファッション・ ショーで「あのロシア人」と呼ばれたヴォジャノワは、イヴ・サンローラン、グッチ、カルバン・クラインに招待され、そしてカルバン・クラインの顔になった。

 ロレアル・パリ、シャネルとの契約、モデルの成功を意味するピレリ・カレンダーへの起用などが続き、誰もが認める世界のスーパーモデルとなった。これほどの成功を遂げたロシア人モデルは初めてであり、こえるのは容易なことではない。

 

美貌だけではスーパーモデルになれない 

 モデルとは美しさだけでなく、個性や興味深いストーリーがなければあまり高く評価されない。ヴォジャノワにはすべてがあった。イギリスの才能豊かなアーティストであるポートマンと結婚し、3人の子供を出産し、出産後は数週間という記録的な早さで仕事に復帰した。

 慈善事業にも熱心で、財団「真心」を創設し、ロシア全体の発展に目を向け、子供用の特別な遊技場を建設している。脳性まひと自閉症の妹がいることも、財団の方向性に影響を及ぼしている。またヴォジャノワは、イギリスの長者番付上位300人の中にも入った。

 ただすべてがバラ色というわけにはいかず、残念ながらポートマンとは離婚してしまった。それでもモデルの仕事をしながら、子供、財団に意識を集中させ、多忙ぶりは変わらなかった。ヴォジャノワのおとぎ話に次に現れた王子様は、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンのベルナール・アルノー会長の息子である、 実業家のアントワーヌ・アルノーで、来年には子供も生まれる。

 ヴォジャノワはこう話す。「裕福になって、有名になって、もちろん幸せ!だけどニジニ・ノヴゴロドの普通の女の子であることに変わりはないの。有名になった時、”有名病”だけにはかかりたくないと思った。これはうまくいったと思ってる。それが何よりも一番嬉しいわ!」