社会参加を夢みる視覚障害者たち

ロシアの74の地域に全ロシア視覚障害者協会の工場があり、1万人以上の障害者がそこで働いている=タス通信撮影

ロシアの74の地域に全ロシア視覚障害者協会の工場があり、1万人以上の障害者がそこで働いている=タス通信撮影

ロシアの視覚障害者は、徐々に新生ロシアでの生活に自ら順応しつつあり、社会参加を強く望んでいる。

視覚障害者居住区「ルシノヴォ村 

 モスクワから100キロメートルのところに位置するルシノヴォ村は、ソ連時代、目の不自由な人々にとって仕事や生活が保障されたいわば楽園であったが、現在、放置されたこの村には、そこを後にすることのできない高齢者を中心とする人たちしか残っていない。

 白髪まじりで大きな眼鏡をかけたセルゲイ・ムルローエフさん(55歳)も、その一人。視力は2パーセントしかないが、モスクワの職場へ電車で通うには困らないという 

 「子供が4人いますので、モスクワへ働きに行かなくてはならないのです」と語るセルゲイさんは、現在、工作用粘土やマジックインキやペンといった文房具を製造する工場で働いている。給料は1万5千ルーブル(約4万5千円)で、5万7千ルーブル(約17万円)というモスクワの平均給与には遠く及ばないが、ルシノヴォのそれより数倍高いという。

 視覚障害者に関する統計調査は実施されていないため、正確な数字はつかめないが、全ロシア視覚障害者協会の評価によれば、ロシアにはセルゲイさんのような人が100万人ほどいる。その多くは、活動能力はあるものの、身体的欠点のない健常者の必要を優先させるロシアのシステムによって見放されている人たちだ。

 その背景には、視覚障害者は同じ場所で生活させたほうがよいというソ連時代の考え方がある。当時、目の不自由な人々のために、住宅や仕事が保障された特別の町が造られ、学校やリハビリセンターが建てられたが、ソ連崩壊とともにこのシステムは瓦解し、そうした指定居留地から社会へ復帰しようとする障害者を支援する人もいない。

 

「大事なのは一歩を踏みだすこと」

パーヴェル・オビウーフさん(34歳)は、毎朝、多くのモスクワっ子と同様、仕事へ出かける=Vivian del Rio撮影

 パーヴェル・オビウーフさん(34歳)は、セルゲイさんとは違って全盲だが、毎朝、多くのモスクワっ子と同様、仕事へ出かける。家を出てモスクワの地下鉄駅に降りていくのだが、周囲の気配と自分の白い杖の音に耳を澄ましている。モスクワの通りで杖をついたり盲導犬を連れたりしている視覚障害者を目にすることは稀なので、多くの人が彼に視線を注ぐ。

 セルゲイさんと同様、最初は全ロシア視覚障害者協会の企業で働いていたものの、後に自身の生活をがらりと転換させたパーヴェルさんは、こんなふうに振り返る。「視力のある人とも友達になったり、みんなが行くところへ自分も行ったりしてみたかったのです。家にずっと閉じこもっているか、何とか自分を乗り越えるか、二つに一つでした。こんなハードルや視覚障害者のコンプレックスを払拭してくれる魔法でも発明できればいいのですが…」

 パーヴェルさんは、ロシアの視覚障害者のようにはまったく見えない。身のこなしはしっかりし、背筋もぴんとしており、おまけに稼ぎもいいときている。「自分で暮らしていけますよ。モスクワっ子ではありませんが、住居を借りたりパンを買ったりする分には今のところ困りません」とパーヴェルさん。

 

短所を長所に変える 

 パーヴェルさんは、視覚障害者であることで、かえって他人のことに敏感になり、他人の話をよく聴けるようになり、みごとに短所を長所に変えてしまった。教育学、法学、そして、経営学を学んだパーヴェルさんは、すでに25年にわたって活動し、現在、30ヶ国でビジネス・トレーニングを展開している国際的な会社「暗闇での対話(Dialogue in the Dark)」で働いている。同社は、二年前にロシアへ進出し、パーヴェルさんは、ロシアで、健常者のコミュニケーション能力を高める視覚障害者トレーナーのグループの先頭に立ち、「セヴェルスターリ」、「コカコーラ」、石油会社といった企業の社員が、パーヴェルさんの指導を受けている。

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 授業は、真っ暗闇のなかで行われる。何も見えないと、そのイントネーションから願望にいたるまで、相手のことが手に取るように分かり、課題を解決しなくてはならないときには、より真剣に自ら語り相手の話を聴くようになるという。「たとえば、相手を黙らせたいという欲望は、10分もすればお見通しで、リーダーとしての隠れた資質も、ここではすぐに現れてきます」

 パーヴェルさんの視力は、緑内障を患った幼少期から徐々に失われていった。パーヴェルさんは、モスクワの第一寄宿制盲学校を卒業すると、ロシア国立社会大学の社会教育学部へ進学し、これまでの隔絶された共同体から、健常者とも交流する世界へ歩みだすことになった。

 「普通の大学で健常者と一緒に学べたのはよかったですね」。こう語るパーヴェルさんは、4年生のときに視力を完全に失ったが、優秀な成績で卒業し、「寄宿制学校の卒業生の自立した生活への備え」というテーマの修士論文の公開審査にみごと合格した。

 

ハードルは頭の中にある 

 現在、パーヴェルさんは、健常者以上に充実した日々を送っている。これまでに三度、コンビを組んで地上4キロメートルの上空からパラシュートで降下したことがあり、目下、単独で降下する準備に励んでいる。モスクワ郊外のスキー場でアルペンスキーを楽しむこともよくあり、おまけに読書家でもある。もはや点字の時代は遠ざかり、今や本を耳で聴ける時代なのだ。パーヴェルさんは、アイフォンに音声メニューを取り入れ、フェイスブックでおよそ300人の友達とさかんにやりとりしているという。

 パーヴェルさんは、こう語る。「視覚障害者であるとかないとかは普通の人にとってはどうでもいいことなのだと気づいたおかげで、すっと社会に溶け込めるようになりました。ハードルは、もっぱら頭の中にあるのです。パラシュートでも一番怖いのは、飛行機から飛び降りる瞬間です。下には4キロメートルの奈落があり、飛行機はすぐに飛び去ってしまうのですから。そこさえ飛び越えてしまえば、無上の喜びが湧いてきます」

 とはいえ、ロシアではパーヴェルさんのようなケースは珍しいかもしれない。現在、視覚障害者の社会参画を促す国家プログラムは機能していない。ルシノヴォの視覚障害者協会のアレクサンドル・ラコヴィチ会長は、「ですから、わずかでも収入を得たい人が働きにくるような半分崩壊しかけた企業がお目見えするでしょう」と語る。ちなみに、現在、ロシアの74の地域に全ロシア視覚障害者協会の工場があり、1万人以上の障害者がそこで働いている。