現代人は中世の生活に耐えられるか

歴史愛好家たちが、モスクワ郊外で大規模な実験を開始した。24歳の青年が半年間に渡り、中世式の生活を送るというもの=ドミトリー・ヴィノグラドフ/ロシア通信撮影

歴史愛好家たちが、モスクワ郊外で大規模な実験を開始した。24歳の青年が半年間に渡り、中世式の生活を送るというもの=ドミトリー・ヴィノグラドフ/ロシア通信撮影

歴史愛好家たちが、モスクワ郊外で大規模な実験を開始した。24歳の青年が半年間に渡り、中世式の生活を送るというもの。インターネット、電気、現代の衣服など、現代では当たり前となっている物がまったく使えない。中世の道具がどのように機能するのか、またこのような生活を送ると現代人の心理 にどのような影響を及ぼすのかを調べることが、この実験の目的。

9世紀のガジェット

 今回の実験に参加したパーベル・サポジュニコフさんは実験開始日の前日、アイパッド、アイフォン、テープなど、現代的な物をすべて片づけた。その代わりに”過去”に持ち込んだ物は、火をおこすための火打石と火打金、衣類の留め金、「シラミを落せる」とサポジュニコフさんが言うクシ、砥石(といし)、昔のばね付きハサミ、糸をロウ引きするためのロウ、そして「もっとも重要な道具であるオノ」。「オノがあれば何でもできる。オノでできなければオノで必要な道 具をつくれる」とサポジュニコフさんは話す。

 さて、火をおこす練習をしなければならない。サポジュニコフさんは火打石と火打金を手に取り、下には火花から簡単に発火する火口を置く。必死になって火をおこそうとするが、どうやっても火口は燃えない。結局こっそりライターを使って燃やしてしまった。これを使えるのも今日が最後。明日からは何としてでも 自力で燃やさなければならない。

 

とうもろこし、じゃがいも、トマトもない生活

 ノヴゴロドの考古学的発掘物をもとに再現された中世の住宅は、モスクワ市からわずか45キロメートルの場所に位置している。にぎやかなヤロスラフスコエ 通りに近い。敷地内にいるのは、走りまわるヤギとメンドリ、そして中世の服を着て革製のブーツをはいた、金髪の大男サポジュニコフさん。

 9世紀の住宅で半年間生活し、この時代の食事を作って食べ、セントラルヒーティングのない状態でロシアの冬を乗り越えなければならない。

 広い家には3部屋あり、中央の部屋が小さな暖炉のある居間。現代人にとって当たり前のソファではなく、動物の皮を張った腰かけがあるだけだ。天井からは 魚の干物やきのこがぶらさがり、隅にはツルコケモモとサロ(豚の脂身の塩漬け)の入った桶がある。部屋の中はひどく魚のにおいがするが、暖のある部屋に干 さなければならないのだと関係者は説明する。そして納屋がある。9世紀に一般的だったひき割り穀物がたくさん置かれているが、とうもろこしはない。とうもろこしはコロンブスがアメリカを発見した時に見つけたものだから、”今”から500年待たなければお目にかかれない。

 最後の部屋はヤギとメンドリの小屋。サポジュニコフさんがこの生活に慣れるまでの当面の間の食糧は、関係者が用意してくれた。この周辺の地域でウサギとキツネの狩りをすることも許されている。昔の罠をしかけてつかまえることしかできないが・・・

 このプロジェクトの発案者であるアレクセイ・オフチャレンコさんはこう話す。「食糧や備蓄が減り、日が短くなっていく秋から冬の季節の変わり目に、どんなふうに暮らすのかを見てみたい」。プロジェクト終了日は、春分の日で、スラヴ暦の新年が始まる来年の3月22日。

 サポジュニコフさんがもっとも不安に思っているのは、冬の寒さよりも、本、新聞、インターネットがない生活で、情報に飢えてしまわないかということだ。

 

中世の生活を送った後は

 サポジュニコフさんは高等教育機関を出ていない。大学で災害医療を4年学んだが、国立病院の医療設備の現状にがっかりし、民間の病院で働く気はなかった ことから退学。数年前から歴史の再現に興味を持つようになり、こちらを職業にした。妻のイリーナさんは夫を後押している。自分もこれに参加したいと思った が、実験の主催者たちが反対したという。

 この実験は負担がかかるため、敷地外から特別な生活記録者がサポジュニコフさんの状態を観察していく。サポジュニコフさんはこの記録者と会話をすることができない。 また1ヶ月に1回訪問日が設けられており、医師と心理学者が診察に訪れる。この日は家族も来ることができる。また1日に30分間、この生活を報告するブロ グの書き込みが許されており、タブレットがこの時だけ渡される。どのような生活を送っているかを、このブログと生活記録者のメッセージで知ることができるようになっている。サポジュニコフさんは実験に関する映画の主人公にもなるという。現時点での実験の予算は、約200万ルーブル(約600万円)。

 

元記事(露語)

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