フランスの俳優兼監督のピエール・リシャール =ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)
スターの登場にウラジオのファンも興奮
小雨がぱらつくなか、たくさんの観客がヴィクトル・スホルコフ、フョードル・ドブロンラボフ、イリーナ・メドベージェワ、エヴゲニー・ストィチキンといったロシアの俳優や、日本の女優の栗原小巻、インドの女優のスワティ・レディなどの国際的な俳優を熱狂的に迎えた。ちなみにレディはウラジオストク生まれ。父はこの地で修理が行われていた潜水艦の乗組員。
フランスの俳優兼監督のピエール・リシャールもようやく登場し、ファンを喜ばせた。リシャールはこの映画祭の第1回目に招かれていたが、最近は来ることができないでいた。式典では温かい歓迎に感謝を述べ、自身の映画を持って来年ここを再び訪れることを約束。そして「拍手をするのはまだ早いよ。なんてったって映画は7時間半も続くんだからね」と冗談を言って会場をわかせた。
リシャールは自身が有名になるきっかけとなった映画「ノッポで金髪で片方だけ黒い靴をはいている男」(1972年フランス)がソ連で上映された後、たくさんのファンレターを受け取ったことを話した。フランス語に翻訳してもらった最初のレターの一通が、ウラジオストクの8歳の少年からのものだったという。街の名前の響きが魅力的で、ぜひ行ってみたいと思ったそうだ。「現在50歳ほどになっているこの方とお会いしたい」と会場を探したが、奇跡は起こらなかった。
最初の「子午線」賞は、観客の投票で選ばれたヴィクトル・シャミロフ監督の「本気でゲーム」に贈られた。
グランプリはシンガポールの映画
チェン監督は受賞前に帰国しなくてはならなかったため、代わりに主演女優を務めたヤオ・ヤンヤンが受け取った =ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)
次に3賞が贈られたのは、アンソニー・チェン監督のシンガポール映画「イロイロ」。シンガポールに暮らすリム家に、フィリピン人のメイドのテレサが訪れる話。テレサは難しい年頃の息子のジアレと仲良くなり、この家族に深入りしていく。そしてもともと家庭崩壊状態だったリム家の関係は、1997年のアジアの金融危機の始まりとテレサの関与によって、ますますひどくなっていく。最優秀アジア映画賞はロシア人審査員である、映画評論家のボリス・ネレポが授与した。この賞はモスクワ映画祭、ベネチア映画祭、ベルリン映画祭などの45の国際映画祭で贈られているもの。
チェン監督は受賞前に帰国しなくてはならなかったため、代わりに主演女優を務めたヤオ・ヤンヤンが受け取った。次に俳優のドミトリー・イサエフが最優秀主演女優賞をヤオに授与。ヤオはこらえきれなくなり、舞台で涙した。審査員長のアレクサンドル・ミンダゼはその数分後、満場一致で「イロイロ」がグランプリに決まったことを伝えた。ヤオは「人生最良の日」であることを涙ながらに語った。
ユル・ブリンナーはウラジオ出身
「ユル・ブリンナー賞」はこの映画祭の恒例の賞。有名なハリウッド・スターであるユル・ブリンナーは、ウラジオストク出身の男優だ。ロシア名はユーリー・ボリソヴィッチ・ブリネル。息子で作家のロック・ブリンナーは、この映画祭の顔になっている。ユル・ブリンナーが「荒野の七人」で実際に着用していたカウボーイ・ブーツをはいて、カーペットの上を歩いた。
今年ユル・ブリンナー賞を受賞したのは、映画「地理学者が地球儀を飲みつぶした」に出演した17歳の女優アンフィサ・チェルヌィフ。アカデミー賞のオスカーを含む、たくさんの賞を受賞していたユル・ブリンナーがもっとも大切にしていたのは、若き日に初めて受賞した賞だったと、ロック・ブリンナーは話した。最初の賞で自信を持ったという。
沿海知事は栗原小巻ファン
ミクルシェフスキー沿海地方知事と栗原小巻 =タス通信撮影
沿海地方知事賞である「9288キロメートル」(シベリア鉄道のモスクワ駅とウラジオストク駅の距離)は、栗原小巻に贈られた。栗原がこの映画祭に参加することを知った、ウラジーミル・ミクルシェフスキー知事が、ぜひこの賞を贈りたいと思ったのだという。「栗原さんがオレグ・ヴィドフと共演されている、日ソ合作映画『モスクワわが愛』を若い時に見て以来、ずっとお気に入りの女優だった」と述べた。
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