1970年のロドニナと当時のパートナー、アレクセイ・ウラノフ 写真提供:wikipedia.org
父は軍人で母は医師という家庭に生まれる。子供の頃は病弱で、11回も肺炎を患ったという。思い余った両親が1954年にスケートリンクに連れて行ったのが、スケート人生の始まり。
1958年に、CSKAのスケート部門にコンクールで選抜された。1964年からアレクセイ・ウラノフとペアを組み、1968-1969年のシーズンから世界選手権と欧州選手権で、無敵の進撃が始まり、72年の札幌五輪で金メダル。同じソ連の新鋭スミルノワ―スライキン組を辛くもかわしての勝利だった。
栄冠の後に最大の試練
ところが、まさに頂点を極めたイリーナを試練が襲う。1972年の世界選手権の前日、彼女は、練習中にウラノフのリフトで転落して脳震盪を起こし、入院。頭蓋骨内に血腫ができていた。それでも出場して、完璧な滑りで金メダル。もっとも、フリーでは半ば失神状態だったという。
そしてこの頃・・・パートナーのウラノフが、最大のライバルであったスミルノワと恋に落ち、やがて、イリーナとのペアを解消して、彼女と組んでしまった。イリーナは引退も考えたという。
レークプラシッドでの涙
1972年4月、イリーナは、新しいパートナーとしてアレクサンドル・ザイツェフをコーチから推薦される。まだ19歳の青年だった。
ザイツェフは、たちまち力をつけ、73年の欧州世界選手権で、ザイツェフ―ロドニナ組は、2位のウラノフ―スミルノワ組に大差をつけて、優勝した。
続くチェコでの世界選手権は、演技中に音楽が聞こえなくなるハプニングに遭いながら優勝。
1978―79年のシーズンは出産のために休んだ。79年2月に息子アレクサンドルが生まれている。
翌1980年、30歳になっていたイリーナは、レークプラシッドで五輪3連覇を成し遂げる。このとき彼女が表彰台で流した大粒の涙をご記憶の方は多いだろう。
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