ロシア帝国の伝説的パイロット、ピョートル・ネステロフ(1887~1914) 写真提供:wikipedia.org
ネステロフは初め、砲兵学校に学び、砲兵隊に中尉として配属されたが、1909年に飛行機会社に派遣されて、飛行訓練を始めた。
1911年から軍のパイロットの訓練を受け、1912年11月に課程を修了し、軍のパイロットとなった。
彼が一躍有名になったのは、1913年に、70馬力のニューポールIVで、キエフ上空で宙返り飛行を行ったときだ。
まず理論的に証明
ネステロフが宙返りをやろうと考え出したのは1912年のことだ。当時、完全に垂直方向に一回転する宙返りは、「死の宙返り」と呼ばれ、不可能だと思われていた。そのため、軍隊でも禁止されていたが、数学と力学に詳しいネステロフは、それが理論的に可能だと確信するようになった。
ちなみに、砲兵は弾道の計算をしないといけないので、数学と力学は必須である。砲兵科出身のナポレオンも、数学は大変得意だった。
わざとシートベルトも締めず
1909年9月9日、彼は、キエフ近郊のスイレツコエ平原で、70馬力のニューポールIVに搭乗。わざとシートベルトも締めなかった。宙返りで身体が逆さになっているときも、遠心力で座席に圧し付けられるので、落下することはないと確信していたためだ。
高度800~1000メートルに上昇すると、ネステロフは、エンジンを切り、急降下を始めた。高度600メートルぐらいまで降下したところで、エンジンをかけると、機体は垂直に急上昇してから背面飛行し、再び急降下。宙返りが完成した。
こうしてネステロフは、曲技飛行のパイオニアとなった。彼の功績は、翼の浮力を水平方向だけでなく、垂直方向でも利用できることを実証したことにある。
体当たりで撃墜第1号に…
第一次世界大戦が始まると、ネステロフは、爆弾の投下に優れた腕前を示した。
1914年9月8日(8月26日)、ネステロフは、モラーヌ・ソルニエ単葉機に搭乗して出撃すると、オーストリア軍の偵察機(2人乗り)に遭遇した。
ネステロフは、主脚を敵機にぶつけて墜落させようとしたが、プロペラが敵機に衝突してしまい、2機とも墜落してしまった。乗員は3人とも死亡。
戦争初期には、航空機には武装はなく、このネステロフの体当たりが、史上初の敵機撃墜ということになった。
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