帝室騎馬近衛連隊の軍服を纏ったアレクサンドル2世 画像提供:wikipedia.org
戴冠式での不吉なハプニング
そのアレクサンドル2世の戴冠式が、1856年9月7日に、リューリク朝からの伝統にしたがい、クレムリンのウスペンスキー寺院(生神女就寝大聖堂)で行われるが、彼の前途を象徴したようなハプニングが起きた。
まず、ツァーリの権力を象徴する「権標」(十字架のついた金の球)を捧げ持っていた侍従将軍ミハイル・ゴルチャコフが暑さと人いきれで失神して倒れ、権標が転がり落ちてしまった。
さらに皇帝が、前にひざまずいた皇后に冠をかぶせ、皇后が立ち上がったとき、女官がしっかりピンで留めなかったせいで、冠が頭から落ちてしまったのである・・・。
改革で四面楚歌
アレクサンドル2世の、農奴解放をはじめとする改革は、社会不安を呼び起こし、守旧派から革命派までを敵に回すことになる。テロが相次ぎ、皇帝自身も冬宮前の宮殿広場で狙撃されたり、冬宮を爆破されたりした。
アルメニア出身の軍人で政治家のミハイル・ロリス=メリコフは、行政と財政の改革を進めることで、国内情勢を安定させようとしたが、その矢先に、皇帝自身が1881年3月13日に、ナロードニキ(人民主義者)の「人民の意志」派のテロリストによって爆殺されてしまい、すでに裁可を得ていた改革案は白紙にもどされた。
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