ベレンコ中尉亡命事件

べレンコが亡命に使ったMiG-25P(同型機) =Press photo撮影

べレンコが亡命に使ったMiG-25P(同型機) =Press photo撮影

1976年の今日、9月6日に、ソ連空軍中尉ヴィクトル・べレンコが、当時の最新鋭機ミグ25で、訓練目的で沿海地方のチェグエフカ村近郊のソコロフカ空軍基地を飛び立ったが、やがて予定のコースを外れて函館に飛来、強行着陸した。ベレンコは、米国への政治亡命を求め、受け入れられた。

謎の動機 

 ヴィクトル・べレンコ(1947~)の亡命の動機はよく分からない。ソ連側の調査によると、べレンコのミグ25は、レーダーの補足を避けるために、50メートル以下の超低空でまっすぐ函館空港に飛んでいるので、離陸した当初から同空港を目指していたと考えられた。

 また、べレンコは、大尉への昇進の遅れや生活条件などに不満であったらしい。米中央情報局(CIA)の協力者だったという噂も流れたが、ソ連の捜査当局はそのような証拠は発見できなかったとしている。函館への飛行は意図的なものだったが、「裏切りの意志」はなかった、というのがソ連捜査当局の結論だ。

 

事件の影響 

 日本のレーダーと航空機は、低空目標を補足できないという弱みをさらけ出し、これは早期警戒機E-2C(ホークアイ)の購入につながった。

 事件は、米ソ双方の戦略にも大きな影響を及ぼした。

 ミグ25(フォックスバット)は、実用化された戦闘機としてはいまだに世界最速で、イスラエルのレーダーでは、マッハ3・4が記録されていた。

 米国はこの超高速戦闘機を恐れていたが、ベレンコ機の分解、調査の結果、機体には、チタニウムではなく、ニッケル鋼が多く使われており、長時間の高速飛行には耐えられないことがわかった(マッハ3では、機体は300度まで加熱される)。安全に飛行できるのはマッハ2・83までだった。

 またミグ25が、迎撃に特化した、領空防衛を主な目的とする迎撃戦闘機であることもわかった。

 迎撃戦闘機は、高速でいち早く目標に到達し、長距離ミサイルを発射するのが任務なので、格闘性能はあまり高くない。現在にいたるまで、超高速と高度な運動性能を兼ね備えるのは難しく、世界的に見ても、そのような機体は存在しない。

 ソ連側もまた、事件後に、露見してしまった防空システムの見直しを強いられることになる。