内戦の英雄チャパーエフが戦死

1919年の今日、9月5日に、ロシア革命後の内戦で赤軍の師団を率いて活躍したワシーリー・チャパーエフが戦死した。彼は死後、何度も小説や映画に描かれて、有名になった。

3個の聖ゲオルギー十字勲章を授与 

 ワシーリー・チャパーエフは、1887年に、ヴォルガ沿岸の現在のチェボクサル市にある農村で生まれた。

 父は農民で、息子を司祭にするつもりだった。ところが、チャパーエフは1908年に兵隊にとられ、第一次世界大戦に従軍して、ここで“天職”に目覚める。

 チャパーエフは、勇士の証である聖ゲオルギー十字勲章(兵士、下士官用)の四等、三等、二等を授与されるという活躍を見せた。階級は陸軍曹長。

 ちなみに、第一次世界大戦で二等聖ゲオルギー十字勲章を与えられたのは、約6万5千人だ。

 

コサック軍に急襲され戦死 

 1917年に革命が始まると、チャパーエフは赤軍に身を投じ、ヴォルガ沿岸のサラトフ県ニコラエフスクで、連隊長に選ばれる。同年12月には、ニコラエフスク郡のソビエトで、軍事委員に選出。

 翌1918年9月には第2ニコラエフスク師団長に任命され、ウラル以東に独裁政権を樹立していたコルチャーク軍と戦う。

 チャパーエフ師団は、1919年6月にウファ(現在はバシコルトスタン共和国の首都)、7月にウラリスクを占領するなど活躍した。ウラリスクは、現在はカザフスタン共和国の西部に位置し、旧名はヤイク。ヤイク・コサックの拠点だった。

 しかし、同年9月5日、チャパーエフは、彼の兵力の少ないところを見澄ましたコサック軍に急襲され、戦死した。享年32歳。

「チャパーエフ」(1934年)、ワシリエフ兄弟監督