モスクワ総主教ゲルモゲン 画像提供:hrono.ru
二人の偽皇子
偽ドミトリーというのは、イワン雷帝の末子ドミトリーを僭称した正体不明の人物で、二人いる。一人目は、ポーランドとカトリック教会の支持を得て、1604年にロシアに攻め寄せ、翌年にはロシアの帝位についてしまった。マリーナ・ムニシェクはその妻で、ポーランド貴族の娘だ。
大動乱の開幕
これが、いわゆる「大動乱」の幕開けだ。
1年後には、この偽ドミトリー1世は、反ポーランド蜂起で殺されてしまったが、その後また、ドミトリーが実は奇跡的に助かっていたという触れこみで、偽ドミトリー2世が登場し、ポーランドおよびロシア国内の反対勢力にかつがれて、再びロシアに来襲する。
マリーナは、この2世とも結婚して子供をもうけている。
義勇軍が終止符を打つ
結局、モスクワ総主教ゲルモゲンの回状をひとつのきっかけに、義勇軍が組織され、モスクワからポーランド軍を追い払う。
1613年には、ミハイル・ロマノフが即位して、ひとまず、大動乱に終止符を打つ。
偽ドミトリー2世とその子イワンは処刑され、マリーナも、獄死もしくは殺害された。
脱皮の苦しみ
16~17世紀のロシアは、すでに地域大国の域を超え、欧州のパワー・ポリティクスに巻き込まれつつあったが、絶対王政を確立した欧州列強には力で及ばず、その意味で、脆さを抱えていた。
しかも、この時代のロシアでは、疫病、凶作がつづいて人口が激減し、非常な危機に陥っていた。大動乱はそれが、リューリク朝の断絶などが導火線になって、大爆発したものだ。
ロシアが中央集権を確立し、列強の一角に確固たる位置を占めるには、18世紀初めのピョートル1世の時代をまたねばならない。
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