モスクワ総主教ゲルモゲンが偽ドミトリーを呪う

モスクワ総主教ゲルモゲン 画像提供:hrono.ru

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1611年の今日、9月4日に、モスクワ総主教ゲルモゲンが偽ドミトリーとその妻マリーナ・ムニシェクを呪う回状を出した。

二人の偽皇子 

 偽ドミトリーというのは、イワン雷帝の末子ドミトリーを僭称した正体不明の人物で、二人いる。一人目は、ポーランドとカトリック教会の支持を得て、1604年にロシアに攻め寄せ、翌年にはロシアの帝位についてしまった。マリーナ・ムニシェクはその妻で、ポーランド貴族の娘だ。

 

大動乱の開幕 

 これが、いわゆる「大動乱」の幕開けだ。

 1年後には、この偽ドミトリー1世は、反ポーランド蜂起で殺されてしまったが、その後また、ドミトリーが実は奇跡的に助かっていたという触れこみで、偽ドミトリー2世が登場し、ポーランドおよびロシア国内の反対勢力にかつがれて、再びロシアに来襲する。

 マリーナは、この2世とも結婚して子供をもうけている。

 

義勇軍が終止符を打つ 

 結局、モスクワ総主教ゲルモゲンの回状をひとつのきっかけに、義勇軍が組織され、モスクワからポーランド軍を追い払う。

 1613年には、ミハイル・ロマノフが即位して、ひとまず、大動乱に終止符を打つ。

 偽ドミトリー2世とその子イワンは処刑され、マリーナも、獄死もしくは殺害された。

 

脱皮の苦しみ 

 16~17世紀のロシアは、すでに地域大国の域を超え、欧州のパワー・ポリティクスに巻き込まれつつあったが、絶対王政を確立した欧州列強には力で及ばず、その意味で、脆さを抱えていた。

 しかも、この時代のロシアでは、疫病、凶作がつづいて人口が激減し、非常な危機に陥っていた。大動乱はそれが、リューリク朝の断絶などが導火線になって、大爆発したものだ。

 ロシアが中央集権を確立し、列強の一角に確固たる位置を占めるには、18世紀初めのピョートル1世の時代をまたねばならない。