米国の親善大使サマンサ・スミスが飛行機事故死

サマンサ・スミスのソ連時代の郵便スタンプ 画像提供:wikipedia.org

サマンサ・スミスのソ連時代の郵便スタンプ 画像提供:wikipedia.org

1985年の今日、8月25日に、アメリカの「最年少親善大使」、サマンサ・スミスが飛行機事故死した。13歳だった。

 米ソの緊張が高まっていた1982年11月、当時10歳だったスミスは、就任間もないユーリー・アンドロポフソ連共産党書記長に、「米露が核戦争するのではと心配です」と手紙を書いたところ、アンドロポフから長文の返事をもらい、ソ連に招待された。

 スミスが、「みんな、そんなに彼のことを恐がっているんだったら、戦争する気があるかどうか、なぜ彼に聞いてみないのかなあ」と母に言ったところ、母が「じゃ、あなたが書いてみれば」と答えたのがきっかけだった。その文面は次のとおり。

 

スミスの手紙 

 「親愛なるアンドロポフ書記長さま

 私は10歳で、サマンサ・スミスと言います。書記長ご就任おめでとうございます。私はロシアとアメリカが核戦争を始めるのではないかと、すごく心配です。あなたは戦争をしますか、しませんか?もし、しないのなら、どうやって戦争を防ぐつもりか教えてくださいませんか?この質問には、お答えにならなくてもいいですけど、あなたが世界征服をしたいのか、世界中でなくても私の国を征服したいかどうか知りたいです。神さまは、私たちが平和に暮せるように、この世界をお創りになりました。戦うためにではありません」。

 

アンドロポフから返事と招待 

 この手紙は、ソ連のプラウダ紙に掲載され、翌年4月にアンドロポフから返事が届いた。

 「あなたの手紙をみて、あなたはとても勇気があって正直な女の子だと思いました。あなたのお国の作家マーク・トウェインが書いた『トム・ソーヤーの冒険』に出てくるトムのガールフレンド、ベッキーを思い出しました。この本は、わが国でも多くの少年少女に愛読されています。

 あなたは、私たちの国の間で核戦争が起きるのではと心配していますね。そして、わが国がそれを防ぐ手立てをとっているかどうかとお尋ねです。

 これらの問題は、ものを考える人間にとっては最も大切なものの一つですので、私は真剣に誠意をもって答えたいと思います<中略>。

 ソ連の人たちは、戦争というものがどんなに悲惨か、身にしみています。42年前に、世界征服を企んだナチス・ドイツの軍隊が。わが国を攻撃し、多くの街を破壊し、何千万もの尊い命を奪いました。

 この戦争は私たちの勝利に終わりました。当時、私たちはアメリカとともに、連合国の一員として、ナチスの侵略者からたくさんの人を解放するために戦いました。

 これらの事実は、あなたも歴史の授業で習っていることでしょう。今でも、私たちは、平和に暮らし、近隣諸国からアメリカのような偉大な大国にいたるまで、地球上の国々とビジネスをし、協力関係を築いていきたいと思っています」。

 アンドロポフはこう述べ、ぜひ、私たちの国を自分の目で見て判断してほしい、とソ連に招待した。

 

両親と訪ソ 

 1983年7月7日、スミスは両親とモスクワ、レニングラード、クリミア半島のピオネール・キャンプ「アルテク」を、2週間にわたり訪れた。アンドロポフは、すでに持病の糖尿病が悪化して、歩行もままならない状態だったので(84年2月に死去)、直接スミスに会うことはできず、電話で話した。

 ソ連とアメリカの報道は加熱した。7月22日、帰国前にスミスは、テレビカメラに笑顔で手を振り、「生きていきましょう!」とロシア語で叫んだ。スミスはのちに、自著『ソ連への旅』を「彼らも私たちと同じ人間です」という言葉で結んでいる。

 

13歳の死 

 1983年12月には、スミスは日本にも招かれ、中曽根康弘首相(当時)とも会っている。

 1985年8月25日、スミスは、テレビドラマの撮影を終えて、父と飛行機で帰宅する途中、同機が着陸に失敗して、死亡した。13歳だった・・・。