東京バレエ団
ここでの東京バレエ団は、現在の東京バレエ団とは別の団体で、活動期間は1946~1950年だ。
発案者は、ダンサーで振付師の島田廣。彼は、戦後復活した日本のバレエ界が協力して全幕バレエの上演を行うことを考えた。葦原英了、東勇作、貝谷八百子、小牧正英、服部智恵子らのダンサー、バレエ関係者がこれに賛同して、1946年4月に東京バレエ団が結成され、その第1回公演として、『白鳥の湖』全4幕を上演することになった。
タイツの代わりにももひき、水泳パンツ
男性のダンサーが足りず、一部の男性の役は女性が踊った。踊らない立ち役などは、早稲田、慶應、上智の各大学の演劇部の学生が演じ、慶応大学法学部の学生だったフランキー堺も参加していた。
戦後の物不足で、タイツを入手するのが難しかったので、男性は水泳用パンツ、女性は男物のももひきを代わりに着用したりしたという。
『白鳥の湖』全曲の総譜もなかったので、小牧が上海から引き揚げるときに持ってきたピアノ・スコアを、山田一雄がオーケストラ用に編曲した。
大好評で5日間延長
ついに1946年8月9日、帝国劇場で、東京バレエ団による『白鳥の湖』日本初演が実現した。指揮は山田一雄、主役のオデット=オディールと王子は、東の弟子であった松尾明美と東、および貝谷と島田のダブルキャストで、ロットバルトは小牧という配役だった。
公演は大成功で、当初の予定より5日間延長された。
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