ソ連の切手。
サヴィツカヤさんは、ワレンチナ・テレシコワさん(76)に続く人類史上2番目の女性宇宙飛行士であり、現在は下院議員を務めている(共産党に所属)。
サヴィツカヤさんは、ソ連空軍のパイロットで、のちに空軍元帥となるエフゲニー・サヴィツキーを父として生まれた。モスクワ航空大学に学ぶかたわら(1972年卒業)、パイロットの資格を取った。
ソ連空軍屈指のパイロット
パイロットとしての技量は群を抜いており、1969年から1977年まで、エアロバティック(曲技飛行)のソ連代表チームの一員であり、1970年には、イギリスで開催された、国際航空連盟(FAI)主催の第6回エアロバティック世界選手権で優勝している。
また、チームパラシュートで3度、さまざまな機種のジェット機で18度の世界記録を樹立している。
1976年からは、テストパイロットとなり、ミグ21、ミグ25、スホーイ7、イリューシン18、イリューシン28などを操縦した。
1980年8月に、宇宙飛行士のチームに配属される。宇宙への初飛行は1982年のことで、ソ連の宇宙ステーション「サリュート7号」で地球を周回した。
電子銃テストのため船外へ
1984年7月25日、サヴィツカヤさんは、2度目に訪れた「サリュート7号」で、ジャニベコフ船長とともに、ソ連の学者が開発した「電子銃」(電子レンズで電子線をビーム状に収束させて照射する装置)をテストするために、船外に出た。
サヴィツカヤさんの回想によると―
「私たちは、変わりばんこに、合計3時間15分船外にいました。約2回地球を回ったことになり、昼と夜があっという間に交代していきました。闇の中では作業しませんでした。装置は最大限の精確さを要求しますから。宇宙服は、最大6時間宇宙空間に耐えられるように作られていました」。
実験は順調にはかどり、予定の数分前に終わり、異常は何も起こらなかった。
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