「アメリカ産業博覧会」とキッチン討論

フルシチョフとニクソンは、様々な展示場で話し合ったが、とくに、アメリカ製のキッチンのモデル会場で盛り上がり、資本主義と共産主義の優越性をめぐって激論を戦わした。

フルシチョフとニクソンは、様々な展示場で話し合ったが、とくに、アメリカ製のキッチンのモデル会場で盛り上がり、資本主義と共産主義の優越性をめぐって激論を戦わした。

1959年の今日、7月24日に、モスクワで「アメリカ産業博覧会」の開会式が行われた。アメリカの副大統領リチャード・ニクソンが初めてモスクワを訪れて開会式に出席し、その際、ソ連の指導者ニキータ・フルシチョフ第一書記との間で、有名な「キッチン討論」が起こった。

 アメリカ博は、モスクワ北東の広大なソコーリニキ公園で行われ、会場となったパヴィリオンは、直径64メートル、高さ30メートルの巨大なドームで、鋼鉄、ジュラルミン、ガラスなどからできていた。

 

日常生活に浸透した豊かさをアピール

 フルシチョフとニクソンは、様々な展示場で話し合ったが、とくに、アメリカ製のキッチンのモデル会場で盛り上がり、資本主義と共産主義の優越性をめぐって激論を戦わした。

 ニクソンは、皿洗い機、芝刈り機、様々な食料品が溢れるスーパーマーケット、キャデラック、ポラロイドカメラ、化粧品、ハイヒール、ペプシコーラ等々の成果を挙げたが、とくに強調したのはキッチンと台所用品で、それが討論の名の由来にもなっている。

 なぜキッチンかといえば、このときのアメリカ博のコンセプトと関係がある。度肝を抜くような科学技術の成果よりも、一般市民の日常生活のすみずみまで浸透した豊かさをアピールするのが目的だったからだ。

 これにフルシチョフは鋭く反応し、2大超大国がキッチンで熱い戦いを繰り広げたという次第。

 

「ソ連は不要な贅沢品は作らない」

 討論は、アメリカが世界に先駆けて開発したビデオカメラに収められ、ニクソンはこれも米国資本主義の成果の一つに挙げた。

 一方、フルシチョフは、ソ連の産業は贅沢品ではなく、実際に重要な製品を作っているのだと反論し、日用品の技術の氾濫をこう皮肉った。

 「アメリカには、食べ物を口に入れてくれて、それから咽喉の奥に押し込んでくれるような機械はないんですかね?」。

 フルシチョフの皮肉にもかかわらず、アメリカ博は大盛況で、78月の会期中に、延べ約270万人が訪れ、ペプシコーラ300万カップを飲み干した。

 

「フルシチョフ、オープンになる勉強中」

 アメリカ博にはペプシコーラが参加したので、ソ連市民は初めてこの米国の飲み物を味わった。フルシチョフも開会式当日、ニクソンにペプシのキオスクに連れて行かれて試飲し、気に入ったという。

 当時ペプシは、「ペプシを飲んでオープンになろう!」というキャッチコピーで売り出していた。キッチン討論の翌日、ペプシを飲むフルシチョフの写真が、「フルシチョフ、オープンになる勉強中」というキャプション付きで、世界中に配信された。

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる