ピョートル1世がアゾフ要塞を奪取

アゾフ要塞の奪取 画像提供:wikipedia.org

アゾフ要塞の奪取 画像提供:wikipedia.org

1696年の今日、7月19日に、若きピョートル1世が、アゾフ要塞を奪取した。トルコ帝国は、この要塞によって、自分の“内海”となっていたアゾフ海、黒海への航行を遮っていた。

1年でゼロから海軍創設 

 ピョートル1世のアゾフへの遠征は、まず1695年に行われ、要塞を包囲したが、失敗した。当時、軍艦というものを一隻ももっていなかったロシアは、要塞の海上補給を遮断できなかったのである。

 ピョートルは直ちに、大量の軍艦と艦船の建造に着手し、翌年春には、ロシア初のガレー船37隻を保有していた。ピョートルは、ロシア初の海軍と陸軍を引き連れて、ふたたびアゾフへ。

 要塞は、包囲されて海上補給を断たれ、2ヶ月の籠城の後に陥落する。

 アゾフ遠征は、若きピョートルの構想力と行動力を示したが、彼の本領はむしろこの勝利の後で発揮される。

 

勝利の後、匿名で西欧視察へ 

 黒海、バルト海に本格的に進出し、大国のトルコ帝国やスウェーデンに勝つためには、強力な海軍が必要である。そこで、早くも翌1697年3月にピョートルは、イギリス、オランダなどの先進技術を学ぶため、約300人からなる大使節団を派遣する。ピョートル自身も匿名で参加していた。彼が、アムステルダムの造船所で自らハンマーをふるって働いたことは有名だ。

 

まずはヒゲから 

 翌1698年、ピョートルは大改革の構想を描きつつ帰国する。彼が最初に着手したことは、出迎えの貴族高官のヒゲを自ら切り落とすことであった。まず、生活習慣の変化による意識改革から始めたのである。

 ピョートルの言動は、それだけ取り出してみると奇矯にみえることもあるが、全体を見ると、熟慮のうえ、遠大な構想のもとに断行されていることが分かる。同時代人には、彼の発想はわからなかったが・・・。