ニコライ・リョーリフ「ネヴァ川の戦い」、1904年 画像提供:wikipedia.org
東西の敵
ロシア北西部にあったノヴゴロドは、モンゴル軍による破壊をまぬがれたが、東方植民を進めるドイツ騎士団やスウェーデン、ノルウェーなどにより、西方から脅かされていた。
1204年の第4回十字軍で、カトリック勢力が、いったん東ローマ帝国を亡ぼし、徹底した殺戮と破壊をほしいままにしたように、正教をいただく国にとって、カトリック勢は必ずしも味方ではなかった。
しかも、ノヴゴロドは、広大な後背地からあがる毛皮と中継貿易で繁栄しており、とても「おいしい」都市だった。
アレクサンドル・ネフスキーが生涯、基本的にモンゴルに従いつつ、西方に対しては時に断固たる対応も辞さなかったのはここから来ている。
寡兵でこっそり近づき強襲
ノヴゴロド第一年代記などが伝えるところによると、1240年夏、スウェーデン軍がネヴァ川に上陸し、支流のイジョラ川河口付近に布陣した。
アレクサンドルは、聖ソフィア寺院での祈祷式で、戦士たちを励ました。「敵が大軍だとて恐れるな。神は我らとともにある」。
スウェーデン軍は、ロシア軍が接近しつつあるとは思わず、防備を固めていなかった。
1240年7月15日午前11時、ロシア軍は不意に敵軍を襲った。激戦は夕刻まで続いたが、槍をもった騎兵が、敵陣の中央になだれ込み、歩兵は岸沿いに進んで側面を突き、敵の船3艘を分捕った。年代記によると、アレクサンドル自ら剣をふるって、敵将ビルゲルを討ち取ったという。残兵はまだ残っていた船で逃げた。
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