「史上最大の戦車戦」で赤軍が勝利

画像提供:wikipedia.org

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1943年の今日、7月12日に、ソ連が「史上最大の戦車戦」でドイツ軍に勝利した。7月11~12日にプロホロフカで戦われたこの戦闘は、「クルスクの戦い」の帰趨を決定付けたのみならず、独ソ戦全体の「終わりの始まり」でもあった。

 1943年当時、東部戦線は、クルスクを中心に、ソ連側に突出部が生じており、ドイツ軍にとって危険な状況だった。

 もはや大攻勢に出る余力のなかったドイツ軍は、ここに局地的な攻撃をしかけ、東部戦線を安定させようとした。これは西側連合国の大陸反攻に備える上でも重要だった。

 ドイツ軍は疲弊、消耗していたが、1942年下旬に、ティーガーI重戦車、パンターなど新兵器を配備され、この作戦に向けて、東部戦線の戦車と航空機の7割近くを動員した。参加した兵力は90万人、戦車と自走砲2700両、航空機1800機にのぼった。

 

赤軍はスパイ網で独の作戦を察知 

 しかし、赤軍は、スパイ網によってドイツ軍の作戦を察知し、クルスク周辺に大規模な対戦車陣地を構築のうえ、相手を上回る戦力を集中し、待ち構えていた。兵員133万人、戦車と自走砲3300両、航空機2650機の大兵力で、しかも、後方にそれを上回る予備兵力を待機させた。

 こうして1943年7月5日に、「クルスクの戦い」が始まる。

 この戦いでは、とくに7月11~12日にプロホロフカで起きた「史上最大の戦車戦」をはじめとして激戦が続き、双方ともに大きな損害を出したが(具体的な数字はソ連とドイツの資料で異なる)、ドイツ軍は赤軍の防衛線を突破できず、作戦目標を達することはできなかった。

 

独ソ戦全体のターニングポイント 

 同時期、東部戦線北部で赤軍が逆攻勢「クトゥーゾフ作戦」を開始し、また米英軍もシチリア島に上陸した。

 クルスクから撤退を始めたドイツ軍に対し、赤軍は兵力をまとめて反攻に転じた。8月23日にはハリコフが解放される。

 こうして、7月5日から50日間にわたり、両軍で合計6000両以上の戦車が参加した「クルスクの戦い」は、赤軍の勝利で終わった。

 以後、独ソ戦の主導権は完全に赤軍に移り、ドイツ軍が攻勢に出ることはなくなった。