モスクワ改造計画を採択

モスクワ改造計画、1935年 写真提供:wikipedia.org

モスクワ改造計画、1935年 写真提供:wikipedia.org

1935年の今日、7月10日に、「モスクワ改造計画」がソ連共産党中央委員会などにより採択された。これはいわゆる「スターリンのモスクワ改造」の基礎となり、1940年代まで実施された。

 この首都改造で、レーニン大通りなどの広い道路、地下鉄網の建設、運河によるボルガ川とモスクワ川の接続などが行われた反面、多くの歴史的建築、通りが破壊され、モスクワの相貌は根本的に変わることになった。

 モスクワの外観は、何世紀にもわたって築かれてきたもので、円形の街の中心にクレムリンがあり、そこから、くねくね曲がった通りが放射状にのび、「四十の四十倍」といわれた、多数のネギ坊主をいただいた教会がいたるところにあった。そこを、モスクワ川がゆるやかに蛇行している・・・。多くの人が感じてきたように、どことなく女性的な印象を与える都市だった。

 

女性的な街が男性的で威嚇的に 

 スターリンは、クレムリン近くの救世主ハリストス大聖堂を1931年に破壊して、その跡地に社会主義の象徴となる「ソビエト宮殿」を建設しようとする。これがモスクワ全市の要となるはずだった。

 この宮殿は、複数の円筒が積み重なる「バベルの塔」風の外観で、頂上には巨大なレーニン像が屹立し、全体の高さは415mという途轍もないものだったが、工事はモスクワ川からの地下水の浸潤などで難航し、結局、スターリンの死後に放棄されることになる。

 

心理的効果 

 また、全市の各丘には、スターリン・ゴシックの摩天楼(セヴン・シスターズ)を築き、そのいずれかの尖塔が市内のどこからでも見えるように配置された。

 建築学の専門家によると、これには、住民に対する心理的な効果をねらった面もあった。

 巨大でいかついゴシックがどこからでも目に付くので、ソ連と社会主義の力を実感させる一方で、自分が監視されているような気分にさせるという。

 

伝統を逆手に 

 ロシアでは伝統的に、教会の塔は信号の役割を果たしていたと、歴史家は指摘している。

 旅人が、遊牧民などに怯えつつ、森また森の広大きわまるロシアを進んでいくと、突然、教会の塔が目に入る。「ああ、あそこも正教のロシアだ」とほっとするというわけだ。

 スターリンは、この歴史的、心理的伝統を逆手にとった。ソビエト宮殿とスターリン・ゴシックは、絶えず住民に信号を発する。「お前は偉大な社会主義のロシアに住んでいることを忘れるな」。

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