写真提供:genomus
ロシア・バロックの顔
設計は、フランス生まれのイタリア人建築家バルトロメオ・ラストレッリ(1700~1771年)。彼は、琥珀の間で名高い離宮「エカテリーナ宮殿」、豪壮華麗な噴水で知られるペトロドヴォレツ(ペテルゴフの夏宮殿)、ストロガノフ宮殿なども手がけている。いわゆるロシア・バロックの完成者だ。
5番目の冬宮
サンクトペテルブルクの冬宮、つまり冬季の王宮は、ピョートル1世(大帝)が1711年に建てたものが最初で、2つめは、現在のエルミタージュ劇場の場所に建てられた。
1732年の女帝アンナの治世に、ラストレッリは、現在の冬宮の場所に、3番目の冬宮を着工、1735年に完成させる。
しかし、女帝エリザヴェータの時代に、いろいろ建て増ししたせいで、全体の均整が崩れ、不恰好になってしまった。
「ここから動くのは嫌じゃ」
ラストレッリが、統一された様式をもつ改築案を作ると、エリザヴェータ女帝は高さを14メートルから22メートルに上げろ、と言う。
ラストレッリが設計をやり直して、別の場所に新築することを提案すると、女帝はここから動くのは嫌だと言う。
結局、今の宮殿を解体してゼロから建て直すことに決定し、1754年に着工するが、仮住まいが必要である。それで臨時に1755年に、ネフスキー大通りとモイカ運河が交差する場所に、木造宮殿が建てられた。これが通算4番目の冬宮ということになる。
部屋数は1050
そうこうするうちにも、5番目の、つまり現在の冬宮の建設は進み、ついに1762年に完成を見た。と同時に、4番目の仮設の木造冬宮も撤去された。
しかし、そのときはもうエリザヴェータは亡くなっており(62年1月)、エカテリーナ2世に代替わりしていたのだから、皮肉なものだ。
部屋数は1050、階段は117、扉は1886、窓は1945という途方もない大きさで、全体が四角形をなし、一方がネヴァ川、一方が宮殿広場、一方が旧海軍省を向いている。4つの角に位置する翼廊には、それぞれ玉座の間、大階段、教会、劇場がある。
現在、冬宮はエルミタージュ美術館の本館となっている。
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