ナポレオン・ボナパルト」、ジャック=ルイ・ダヴィッド
ナポレオンはなぜロシアに侵攻したのか。たいていの論者は3つの理由を挙げる。大陸封鎖令にかんする問題、ポーランド問題、個人的怨恨―。しかし、これだけでは、なぜナポレオンが、スペイン情勢が泥沼化している状況で、あのむりな遠征にあえて踏み切ったか、十分説明できるかどうかは疑問だ。まずは順次みていこう。
1. ナポレオンの「大陸封鎖令」
ロシアは、1807年6月14日のフリートラントの戦いでナポレオン軍に負けて、「ティルジットの和約」をむすんだ。その結果、フランスの宿敵イギリスに対する「大陸封鎖」への参加をよぎなくされた。大陸封鎖は、ナポレオンが欧州全域に対して英国との貿易を禁じたものである。
しかし、ロシアにとって英国は主要貿易国で、英国むけに穀物、木材などの第一次産品を輸出し、英国からは工業製品(繊維製品、鉄鋼など)、植民地の物産(砂糖、コーヒー、綿花など)を輸入していたから、たちまちロシアは苦しくなり、やむなくアメリカ等の中立国の船舶の寄港をみとめるなど、緩和措置をとらざるをえなくなった。
2. ポーランド問題
ティルジットの和約で、ナポレオンは、プロイセンの旧ポーランド領を奪って、自分の帝国の緩衝地帯とし、ワルシャワ公国を建国した。ポーランドは、18世紀後半の、ロシア、プロイセン、オーストリアによる、3度にわたる分割で消滅していた。
公国の建国は、ロシアを大いに刺激した。ポーランドと複雑な歴史的関係をもつロシアにとっては、いかなるかたちであれポーランド国家の復活は、ただちに反露政策と受けとられたからだ。
3. 個人的怨恨
ナポレオンは1810年、アレクサンドル一世の妹エカテリーナが嫁いでいたオルデンブルク公国を併合した。アレクサンドルは、とくにこの妹を溺愛しており、近親相姦説もあるほどだ(たとえば、エフゲニー・タルレ「ナポレオンのロシア侵攻」)。
これに先立って、ナポレオンが、跡継ぎのない妻ジョゼフィーヌを離婚して、アレクサンドルの妹のエカテリーナかアンナとの結婚の意向を伝えてきたとき、ツァーリは婉曲に断った経緯がある。
トルストイ:「殴られても、かならず殴りかえすとはかぎらない」
レフ・トルストイは、ナポレオンのロシア遠征の原因について、『戦争と平和』第三巻冒頭でこう書いている。
大陸封鎖令、ポーランド問題をめぐる対立、個人的怨恨等々の“原因”があっても、戦争になるとはかぎらなかった。人間は殴られても、かならず殴りかえすとはかぎらないから。無数の原因が、その事件が起きるように、ちょうどうまく噛み合ったのだが、なぜそういうことになったのか・・・。結局のところ、起こるべくして起こった、何者かが人知の及ばぬ目的のために、そうなるように導いた、という神秘説になってもしかたがない、とトルストイは言うのである。
ナポレオンは、こういう歴史の真相はぜんぜんわからず、自分が全能だと思い込んでいる阿呆だ、とトルストイは言うのだが、はたしてそうだろうか?
「一つのすぐれた力が私を私の知らない一つの目的へと駆り立てる。その目的が達せられない限り、私は不死身であり、勘忍不抜であろう。しかし私がその目的にとって必要でなくなるや否や、たった一匹の蠅でも私を倒すのに十分であろう」
(『ナポレオン言行録(岩波文庫 )』 オクターヴ・オブリ編/大塚幸男訳、241頁)。
ナポレオン自身の言葉だ。彼が感じていたという力が、トルストイのいうそれとおなじであることには、疑問の余地がない。
それにしても、この力とは、目的とは、どんなものだったのだろうか? ナポレオンとその周囲の人々をたえず動かしていた力とはなにか?
マルモン元帥は、「われわれは一種の光芒に包まれて進軍しているような感じだった。私は五十年後の今でさえ、そのぬくもりを感じることが出来る」と回想する。
たんに、ナポレオンの野心(ロシア遠征にインドの地図までもっていったというから桁外れではある)とカリスマ性に引っぱられたというようなことだろうか?
作家スタンダールは、ナポレオンのイタリア遠征にもロシア遠征にも参加し、ボロジノの会戦も、モスクワの大火も、退却の悲惨も目の当たりにした。飢えるあまり、自分の指を食べるフランス兵までいたというが、そのスタンダールが『パルムの僧院』のような作品を最晩年に書く。まさに天馬空を行く情熱、天を衝く意気・・・。ナポレオンへの、イタリア遠征時の「情熱」への驚嘆は揺るがなかったとしか思えない。その情熱ははたしてなんだったのか?・・・
一言で野心とわかったように言うが、それは自明のものだろうか?
「最後に、人は私の野心を非難するであろうか? ああ! なるほど、歴史家は私の裡に野心を、それも多くの野心を見出すであろう。しかしそれはおそらくかつて存在した最も偉大な野心、最も高い野心なのである。すなわち、理性の帝国を建設し、ついにそれを圧しも圧されもせぬものにしようとの野心、そして人間のあらゆる機能の十全な行使、全的な享受を可能ならしめたいとの野心なのである! そしてここで歴史家はおそらく、このような野心が達成されず満たされなかったことを、当然、遺憾とすることになるであろう!……つづめていえば、以上が私の全歴史である」(『セント・ヘレナの物語』ラス・カーズ(『ナポレオン言行録』所収200-210頁)。
これはナポレオンの自己弁護として一刀両断されることが多いが、まったくの空言か?
フランス革命の衝撃は巨大だった。政治、経済のシステムはもちろん、拠り所たりうる思想、宗教も崩壊し、人間は巨大な自由を得る代わり、孤独に陥り、すべて自力でやっていかねばならないことになった。自由と孤独。こうした状況は、じつは今日にいたるまで基本的に変わっていない。
そこへ、超人ともみえる人間が現れ、かつてない自己実現の可能性、理想社会建設の可能性をかいまみせてくれた――。案外、こうすなおに考えるのが、当たらずといえども遠からずではないか。
なるほど、その結果は嘆かわしいことになったが、今日にいたるまで、人々は幻滅しつつも、ある可能性への憧憬の念は残り、それがナポレオン伝説の核をなしているように、私には感じられる。
スペインのカルロス四世の寵臣で、ナポレオン戦争の渦中にあったマヌエル・デ・ゴドイは、こう言う。
「これから先、もはやナポレオンは出現しないだろう。彼はあの種の人物としては最初で最後の存在だった。<中略>輝かしくも、血腥い流星、善悪入り乱れた混合物だったナポレオンは、世紀の奇跡といえた。<中略>しかし後に残ったものはただ空しい煙だけであり、もっと悪いことには、人類は完全には倖せになれないという絶望的な確信だけである」(両角良彦『反ナポレオン考』、309頁)
これもおなじことを指し示しているのではあるまいか。「完全に幸福になれる」という夢を見せられたことがあった、と・・・。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。