写真提供:www.dkvnukovo.ru
1932年にソ連作家同盟が、小説家マクシム・ゴーリキー(1868~1936)の文筆活動40年を記念して、超大型航空機を作ることを“発案”した。またたく間に寄付金を集めて、アンドレイ・ツポレフ(航空機設計局ツポレフの創業者)の設計で、爆撃機TB-4をベースに製造された。
8発で全幅63メートル
完成は1934年4月。乗客乗員100名、全長33メートル、全幅63メートル、時速275キロ、航続距離1000キロである。
エンジンは、翼に6基、胴体上に2基搭載していた。翼の6基だけでは馬力不足だったためだ。空前の巨大さを考慮して、分解して鉄道で運ぶことができるようになっていた。
ANT-20の使命は、ソ連とスターリンのプロパガンダで、「天の声」と呼ばれる高出力の放送設備も備えていた。
同1934年には、2度にわたり世界記録を樹立している。10トンと15トンの荷物を積んで高度5千メートルまで上昇した。
フランスの作家サン=テグジュペリも、新聞記者として搭乗し、搭乗記を書いている。だが、その直後に、ANT-20は墜落事故を起し、乗員乗客全員が死亡した・・・。
デモ飛行で墜落事故
1935年5月18日、ベーリング海で遭難して救助された蒸気船チェリュースキン号の乗員をモスクワに迎えるため、ANT-20は、2機の戦闘機I-5とともにモスクワ上空でデモ飛行を行った。
戦闘機は、ANT-20の大きさを際立たせるため、すぐ近くを飛行するよう命じられていたが、突然、宙返りをして、ANT-20に衝突し、2機とも墜落した。
ソ連当局は、戦闘機のパイロットが独断で無理な宙返りをしたのが事故の原因だと発表したが、内務人民委員部の調べでは、軍の撮影班が、飛行直前にパイロットに宙返りを命じたという。
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