琥珀の男の夢

ポーリーン・ティルマン撮影

ポーリーン・ティルマン撮影

「琥珀の間」は彼の人生そのものとなってしまった。それでもアレクサンドル・クリロフ氏はその手を休めることがない。彼の夢は、琥珀で聖障(イコノスタシス:聖画像の描いてある内陣と身廊との仕切り)全体を制作することだ。

 一見、彼は正教会の聖職者とも見間違えられそうな外見をしている。アレクサンドル・クリロフ氏は、長い髪を頭の後ろで束ね、顔には豊かなひげをたくわえて いる。9月に還暦を迎えると、彼は月に1万3000円相当の年金を受給し始めることになる。それだけで生計を立てていくことはとうてい不可能なので、彼は仕事を続ける予定だ。

琥珀の間をめぐる探求の歴史

今日、琥珀の間についてのさまざまな説が出回っている。プロイセン王フリードリヒ1世によって制作が命じられ、もともとはベルリン王宮に置かれていた。その後、ロシアのピョートル大帝に譲られ、サンクトペテルブルクのエカテリーナ宮殿に移された。  第二次世界大戦の勃発後、ドイツ軍は琥珀の間を解体し、部品はカリーニングラードへと持ち運ばれた。1945年以来、これらは消滅したとされている。1億5000万ユーロ(約195億円)という推定価値のため、世界中の宝探し愛好家がとりこになって探し回っている。  1981年、琥珀の間を原物通りに復元するという決定がなされた。ドイツからの資金援助により、サンクトペテルブルク建都300年の2003年にちょうど間に合うように復元が完成したが、これにおいては琥珀芸術家のアレクサンドル・クリロフ氏が中心的な役割を果たした。

  琥珀の間に費やされた24

 アレクサンドル・クリロフ氏は、これまでの人生でさまざまな偉業を成し遂げた。その中でもライフワークとなるのは、サンクトペテルブルクの近郊プーシキンにあるエカテリーナ宮殿の一室、「琥珀の間」に他ならない。彼はその部屋に24年を捧げた。最終的には、最大で50人が復元作業に加わった。

 今、何か誇りに思うことがあるかどうか問われると、彼は当然ながら琥珀の間に言及する。「このプロジェクトはあらゆる面からいって成功でした。復元で最も困難だったことは、原物のモノクロ写真しか参照するものがなかったことです。何から何まで、一から始めなければなりませんでした」とクリロフ氏は回想する。「完成まであれだけの時間がかかったのはそのためです。」

 当初復元の監督を担ったのは、誰もが必ず定刻通りに出勤し、残業を強いるほど細かいことにうるさい人物だった。クリロフ氏は、過去10年間独立した請負業者として働いてきたにもかかわらず、自分が未だにその監督の影響下にあると感じている。2003年、琥珀の間の披露式典が開かれたが、その後、クリロフ氏はサンクトペテルブルクのセンター内でワークショップを開き、助手として デニス・ フェドトフ氏を雇用した。

ポーリーン・ティルマン撮影

 上昇する琥珀価格

 これまでフェドトフ氏は、主に海外からの観光客向けの土産品として、高度な装飾が施された宝石箱を作ってきた。装飾の帆を彫り、やすりをかけ、彩色して磨 き上げ、このような宝石箱2点を完成させるのに、彼は5週間を費やした。その価格を尋ねられると、クリロフ氏は眉をひそめ、しぶしぶながらも「それぞれ1000ユーロ(約13万円)は下りませんよ」と答えた。

 彼の顧客が超富裕層であることは、すぐにわかった。そのうえ、琥珀の相場は上昇中なのだ。「3ヶ月間で価格が3割上昇しても、きわめて標準的なんです」とクリロフ氏は不満を述べる。

 琥珀は、そのほとんどがカリーニングラード産だ。ロシア人、ポーランド人とドイツ人が琥珀に対して持つ特別な愛着心は、簡単に説明がつく。クリロフ氏の説明ではこうだ。「そのあたりでは日照が不十分なんです。外は寒いことが多いので、琥珀に触れたときの暖かさは心地いいんです。冷たくなくて温かい石は琥珀 だけです」。

 琥珀はいつの時代でも貴重品とされ、ツァーリからの高価な贈り物を制作するのに用いられた。ロシア帝政時代の終焉とともに、琥珀職人の知識と技能は失われてしまった。理由はその出来事自体にある。誰も高価な価格を支払うことができなかったからだ。アレクサンドル・クリロフ氏は、同じ歴史が現在も繰り返されていると考える。 

ポーリーン・ティルマン撮影

 バターのようなソフトさ

 こうした話はすべて苦々しく聞こえるかもしれないが、クリロフ氏はあきらめかけた男の様相を呈していない。それどころか、彼は芸術的創作の頂点にあるかのようだ。訪ねて来た友人のユーリアさんはこう語った。「一番私を驚かせるのは、何をするにせよ、彼の手際の良さです。彼が琥珀を使った作業をすると、琥珀 はバターのようにソフトになるんです」。

 自身の琥珀との関係について説明を求められると、クリロフ氏は素っ気なく答えた。「私が琥珀を手にとっても、それは石であるにすぎません。別にロマンチックなことはありませんよ。素材があって、それから何か違うものを創造するのです」。

 

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 単なる高価な宝石箱ではない

 クリロフ氏の創作品は、月並みの宝石箱とは比べものにならない。彼のワークショップには、来訪者を印象づける琥珀の間のミニチュアモデルがある。その右側 には女性の胴体像が、そしてその左側にはピョートル大帝の胸像がある。そのすぐ次には3点の大きな宗教的イコンがあるが、これらはすべて琥珀で作られたも のだ。彼は、化石化した木の樹脂は、彫像や大型の宗教的イコンを作製するのに最適であることを証明しようとしているのだ。彼の夢は、いつか琥珀を使って聖 障全体を作製することである。それには、ゆうに10年の年月と莫大な費用を要することになるだろう。

 クリロフ氏がそのような資金をもいとわない出資者を探し求めているのは、そのためだ。「もちろん、そのような高遠な目標を掲げる必要はないのですが、聖障は作業量と困難さという面で琥珀の間に匹敵するものなのです。私が興味をそそられるのはそのためです」。