ニキータ・デミドフ
デミドフ家は、鉱山業で有名な大地主の貴族で、始祖は、トゥーラ出身の鍛冶の名工ニキータ・デミドフ(1678年~1745年)だ。
彼の名人芸に驚嘆したピョートル大帝が、冶金工場建設のために、鉱山の多いウラルとシベリアに広大な土地を彼に与えたのが事の始まり。
1696年にニキータは、トゥーラ近郊に、水力で稼動する鋳鉄工場を設立する。1702年には、勅令で、ウラルの国営のネヴィヤンスキー工場が彼に与えられた。ニキータはそこへトゥーラとモスクワから職人たちを移した。
1705年6月4日には、大帝は、ウラルのクングルスキー地区に冶金工場建設を許可する。以後、ニキータは、土地と農奴を買い足して、新工場を次々に建設していく。1720年には貴族に列せられた。
鉄生産世界一の牽引力に
デミドフ家は、並行して鉱山の開発も進め、アルタイ山脈南西部に30以上の鉱山を開いた。ニキータの息子アキーフィ(1678年 ~1745年)は、1743年にはロシアで初めて銀を採掘し、まもなく金も掘り当てた。
こうして、デミドフ家の事業と資産はますます大きくなっていった。その急速な発展ぶりは驚くほどで、1730年代には、デミドフ家の工場の生産量は、国営工場の3倍以上となっていた。
デミドフ家は、ロシアの鉱山業と製鉄業の牽引車となり、ロシアの鉄の生産量はイギリスを凌駕して、産業革命が本格化する18世紀末まで、世界一の座を保った。
19世紀に入ると、デミドフ家の資産はかなり減ったが、それでも20世紀初めの時点で、50万ヘクタール以上の土地と、11の工場を所有していた。
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