画家レオニード・パステルナーク死す

『復活』の挿絵:復活祭のカチューシャ

『復活』の挿絵:復活祭のカチューシャ

1945年の今日、5月31日に、詩人パステルナークの父である、画家レオニード・パステルナークが、亡命先のオクスフォードで亡くなった。

 レオニード・パステルナーク(1861~1945)は、ウクライナのオデッサで、ホテルを経営するユダヤ人の家庭に生まれた。

 絵を描くのは子供のときから好きだったが、両親の反対もあり、画業に専念するまでの道のりは長かった。

 1881年、モスクワ大学に入学し、医学部で2年間学んだ後、83年にオデッサのノヴォロシースク大学法学部に転じ、85年まで在籍した。

 この間もずっと並行して美術学校で絵画の勉強を続けていたが、1887年に思い切ってミュンヘン美術アカデミーに留学したことで踏ん切りがつく。

 自作「家からの手紙」が、トレチャコフ美術館の創設者で大パトロンであったパーヴェル・トレチャコフに購入されたことで自信を深め、モスクワに移る。まもなく、有名なピアニスト、ローザ・カウフマンと結婚する。

 

 最高傑作:『復活』の挿絵 

 レオニードは、印象主義の手法を取り入れる一方、移動展派の同人でもあったが、その最高の作品はおそらく、レフ・トルストイの長編『復活』のための挿絵だろう。

 99年に『復活』は、ポピュラーな挿絵入り総合雑誌「ニーヴァ」に連載されると同時に、イギリス、フランス、ドイツで翻訳出版され、世界的な反響を呼んだ。

 その挿絵は、トルストイの希望でレオニードが担当したが、まさに入神の出来栄えとなり、挿絵というものの可能性を示している。

 レオニードはトルストイと大変親しく、家族ぐるみで交際していた。

 

 家族の別離

 ロシア革命後の1921年、目の手術を受けるために、ベルリンに妻と娘とともに出国し、ソ連には二度と戻らなかった。息子の詩人パステルナークは、ロシアにとどまる道を選んだ。

 1938年にナチスの迫害を避けてイギリスに移住し、45年に亡くなった。