赤の広場にセスナ機着陸

ルスト青年の父は、ビジネスマンでセスナ機を西独で販売していた。写真はセスナ172B。

ルスト青年の父は、ビジネスマンでセスナ機を西独で販売していた。写真はセスナ172B。

1987年の今日、5月28日に、当時19歳の西ドイツの青年、マティアス・ルストが、ヘルシンキからモスクワまで、セスナ172Bを操縦して、赤の広場に着陸した。

 シェレメーチエヴォ第3空港 

 冷戦のさなかだけに、この事件は世界を驚かせ、ソ連の軍当局は面目丸つぶれの形となり(この日はたまたま、国境警備隊の記念日であった)、赤の広場には、「シェレメーチエヴォ第3空港」という自虐的なあだ名がついた。

 

 民間機の撃墜は禁止 

 ルスト青年の父は、ビジネスマンでセスナ機を西独で販売していた。青年は、現在も生産されているロングセラー、セスナ172Bで、14時20分に高度600メートルでエストニアに侵入した。

 軍当局はこれをキャッチし、戦闘機がスクランブル発進したが、撃墜は許可されなかった。これは大韓航空機撃墜事件後の1984年から、民間機の撃墜が禁止されていたためだ。

 

 「ソ連中が大ショック!」  

 ルスト青年は赤の広場の脇の橋に着陸すると、聖ワシリイ大聖堂前まで移動し、群がる市民がサインを求めるのに応じたりしていたが、10分後に逮捕された。

 ソ連の新聞は、「国中が大ショック! よりによって西独の、おまけにアマチュアのパイロットなんかに着陸されて、ソ連の防空軍は赤っ恥もいいとこだ! おまけに、今日は国境警備隊の記念日なのだ」などと書きたてた。

 

 軍関係者約300人が解任

 事件の責任をとらされて、セルゲイ・ソコロフ国防相とアレクサンドル・コルドゥノフ防空軍総司令官以下、約300名の軍関係者が解任された。

 同年9月4日、ルスト青年は、領空侵犯とフーリガン行為で、禁固4年を言い渡されたが、432日服役したところで、翌88年8月3日に恩赦を受け、帰国した。裁判でルストは、飛行は「平和を呼びかけるため」と陳述していた。