チェリュースキン岬、1972年=ロマン・デニーソフ撮影/ロシア通信
それは、タイミル半島のチェリュースキン岬(当時の名は「北東岬」)で、北緯77度43分、東経104度18分。タイミル半島は、シベリア北部の北極海に突き出た半島で、クラスノヤルスク地方に属する。
-50度と食糧欠乏にもめげず
チェリュースキンは、1733~1743年ころ、第二次カムチャツカ遠征に積極的に参加し、1741年12月初めには、2人のコサックを連れて、タイミル半島に犬ぞりで出発した。目的は、半島北部の測量を行うことだった。
ほぼ3ヶ月かかってようやく、タイミル半島の南東の境界をなすハタンガ湾に到達。気温はマイナス50度近く、食糧の欠乏に絶えず悩まされた。
1742年4月には、ファデイ岬(北緯76度47分)に達した。これより北は人跡未踏となる。チェリュースキン一行は綿密な調査を行いつつ、北に進んだ。こうしてついに5月20日、一行はユーラシア最北端に到達した。もっとも、これが最北端であることが証明されたのは、はるか後の1919年のことだ。
チェリュースキンは、この「北東岬」について、「岸辺はとても低くて砂が多く、小さな湾曲がある」と日誌に記している。
2番手はようやく1世紀後
チェリュースキンの後、タイミル半島の探検が行われたのは、実に1世紀後のことで、探検を指揮したのはアカデミー会員アレクサンドル(アレグザンダー)・ミッデンドルフ。その彼の提案で、1878年より北東岬はチェリュースキン岬と改名された。
ミッデンドルフはチェリュースキンを次のように讃えた。
「チェリュースキンは、この地域で活動したロシアの航海士のなかで、まちがいなく最高の業績を残した。この極北の地では、誰もが衰弱して倒れてしまったのに、彼は1742年に、最も困難なことを見事に成し遂げて、その行動力を示した」。
現在、チェリュースキン岬には気象観測所が置かれ、8~10人が越冬している。また、当地には、ユーラシアの大陸部で最北端の空港「チェリュースキン岬」がある。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。