=Getty Images撮影
見つかったのは、銀製装飾品のほか、グリヴナ(キエフ・ルーシの貨幣単位)の地金で、キエフ、ノヴゴロド、チェルニーゴフの各タイプのものがあり、計300点におよんだ。これらの発見物は、「クレムリンの秘宝」の通称で広く知られるようになった。
銀製装飾品は、調査の結果、12世紀末~13世紀初めのものとわかった。「秘宝」は、その考古学上の重要性で、かつて古代ロシアの都市で発見されたもののうち、10本の指に入ると、専門家は評価している。
「秘宝」が教えてくれる12~13世紀のモスクワ
「秘宝」の面白さは、その構成にもある。古代ロシアのほか、スカンディナヴィア、オリエントの、当時としては極めて高価で優れた工芸品が含まれていた。
モスクワが初めて文献に登場するのは1147年で、キエフ大公国のユーリー・ドルゴルーキー公が会合を行ったとされる。1156年には、同じくユーリー・ドルゴルーキーが木製の砦を築いたと記録されているが、その当時からモスクワは、政治的に重きをなし、中継貿易で重要な役割を果たしていたということになる。
また、12~13世紀の装飾品で今日まで現存するものは数少ないので、その点でもこの発見は貴重だ。モスクワは1237~1238年のモンゴル帝国の来襲で灰燼に帰し、貴金属は略奪にあったし、平時でも、銀器は、様式や流行が変わると鋳つぶされ、新たに作られるのが常だった。
「クレムリンの秘宝」の繊細な細工は、モンゴル来襲以前の工芸技術を如実に見せてくれる。それは現代の職人から見ても驚嘆すべき水準にある。
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