ロシア初の鉄道、1837年。
オーストリアの技師F.A.ゲルスネルの貢献
ロシア初の鉄道建設で特筆すべき役割を果たしたのは、オーストリアの技師で、当時ウィーン工科大学教授であったF.A.ゲルスネルだ。彼は、3ヶ月にわたりロシア各地の生活と地勢を調査のうえ、皇帝ニコライ1世に、ロシアにおける鉄道の意義を強調しつつ、建設を進言した。
「世界広しといえども、ロシアほど鉄道が有利かつ不可欠な国はありません。輸送のスピードアップにより、その巨大な距離を縮めることができるからです」。
5ヶ月の予定の工期が1年半に
特別委員会による綿密な再調査ののち、ゲルスネルに鉄道建設の指揮が委ねられ、資本金300万ルーブルの鉄道建設会社が設立された。
その結果、半年後には建設費用が集まり、1836年4月に、サンクトペテルブルクとツァールスコエ・セロー間27キロの鉄道の建設に関する、ニコライ1世の布告が出された。こうして、1836年5月13日に建設工事が始まった。
3千人以上の労働者と17人の技師が工事に当たり、うち5人の技師は、鉄道先進国イギリスで鉄道建設の経験があった。レール、機関車などの資材は、イギリスから輸入された。
工期は5ヶ月間の予定であったが、竣工は大幅にずれ込み、約1年半を要した。このロシア初の鉄道は、世界では6番目となる。
「社会を流動化させ危険」
開業は1837年11月11日で、機関車はイギリス製、車両は8両編成。2時30分にサンクトペテルブルクを出発し、35分後に「ウラー!」の大歓声のなか、ツァールスコエ・セローに到着した。往路はさらに速く、27分で着いている。最高時速は64キロに達し、平均時速51キロで走っている。
鉄道の意義に関しては、当初は、賛否両論があり、「娯楽にすぎない」との意見もあれば、ロシアにおける鉄道の戦略的意義を理解していた専門家もいた。
ところがその後、皇帝ニコライ1世は、鉄道建設は社会を流動化させて危険であるとして、ブレーキをかけてしまった。ロシアでの本格的な鉄道網の建設は、アレクサンドル2世の治世の1860年代以降をまたねばならない。
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