詩人のアフマートヴァとニコライ・グミリョフが結婚

ニコライ・グミリョーフ、レフ、アンナ。

ニコライ・グミリョーフ、レフ、アンナ。

1910年の今日、5月8日(ユリウス暦4月25日)に、のちに20世紀のロシアを代表する詩人となる、アンナ・アフマートヴァ(1889~1966)とニコライ・グミリョフ(1886~1921)が結婚した。グミリョフはアフマートヴァを5年間も熱烈に追い回し、何度も断られて、3回も自殺未遂をした挙句(!)、ようやく首を縦に振らせたのだったが・・・。

 『レクイエム』、『ヒーローのない叙事詩』など、20世紀屈指の傑作で知られるアフマートヴァは、オデッサの海軍技師の家庭に生まれた。

 翌1890年、家族は、サンクトペテルブルク近郊の、離宮エカテリーナ宮殿のあるツァールスコエ・セローに移る。

 5歳のときに、兄と姉のフランス語の授業を聞いているうちに、ひとりでにフランス語を話し始めたというから、子供のころから並外れた音感の持ち主であったようだ。

 

 詩を書く“野蛮な女の子” 

 少女時代は、彼女の回想によると「野蛮な女の子」で、無帽で裸足で歩き回り、時化の海にボートからいきなり飛び込んで泳いだりしたという。

 彼女はやがてツァールスコエ・セローのギムナジウムで教育を受ける。

 11歳のころから詩を書き始めるが、謹厳な父は、娘の「デカダン風の」詩を嫌っていた。

 1903年にツァールスコエ・セローで、3歳年上のニコライ・グミリョフと知り合う。熱烈な求婚を断り続けた彼女がついに結婚を承知したのは1909年のことだ。

 翌1910年の結婚式には、双方の親類縁者は出席しなかった――2人の結婚にみんな反対だったので。

 新婚旅行先のパリで画家モディリアニと知り合い、16枚のデッサンのモデルとなる(現存するのは2枚のみ)。

 

 一番幸福だったころ 

 夫婦ともいわゆる家庭的なタイプでは全然なかった。グミリョフは、新婚旅行から戻るとすぐに妻を置いて、アフリカへ旅行へ出かけてしまう。

 妻は、愛する人を失う悲しみを詩に表し、翌1912年に、第一詩集『夕べ』を刊行して、たちまち若き芸術家たちのアイドル的存在となる。

 刊行直後には、息子レフ・グミリョフ(のちにユーラシア主義の歴史家となる)が生まれている。

 アフマートヴァは、言語に絶する苦しみをなめるスターリン時代に、このころを最も幸福な時期として思い出すことになろう。