赤軍初の軍事パレード、5月1日1918年。
古代ロシアでは、戦勝後の軍事パレードを行う慣わしは12世紀末にさかのぼる。例えば、アレクサンドル・ネフスキーは、チュド湖での「氷上の戦い」でドイツ騎士団を壊滅させた後、プスコフに凱旋し、教会の鐘が打ち鳴らされるなかを完全軍装でプスコフを行進した。この光景は、セルゲイ・エイゼンシテイン監督の映画「アレクサンドル・ネフスキー」(1938)でおなじみだ。
ピョートル大帝も、少年時代の「遊戯連隊」のパレードをはじめ、近衛連隊や艦隊のパレードを盛んに行っている。
19世紀に入っても、パーヴェル1世とアレクサンドル1世は大のパレード好きで知られ、夏はサンクトペテルブルクの「マルスの広場」で、冬も冬宮前の宮殿広場で実施された。
戦勝50年を機に復活
20世紀で最も歴史的なパレードとなったのは、1941年と1945年の赤の広場でのもので、前者では将兵はそのまま、モスクワに迫るドイツ軍との戦いにおもむき、後者は独ソ戦の凱旋パレードであり、カラー映像が残っている。
ソ連崩壊後、ロシア政府は、しばらくは派手な行事はやらない方針だったが、旧軍人らの不満もあり、復活させることになった。
こうして独ソ戦勝利50周年を記念して、1995年5月9日に、かつて独ソ戦に参加した将兵も加わって、赤の広場とポクロンナヤの丘の2箇所で、パレードが行われた。
それ以後モスクワでは定期的にパレードが行われている。
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