パーヴェル1世の戴冠式

「賦役」グラビア、1798年。

「賦役」グラビア、1798年。

1797年の今日、4月16日(ユリウス暦4月5日)に、母帝エカテリーナ2世の崩御を受けて即位していたパーヴェル1世(在位1796~1801)の戴冠式が行われ、同日、二つの重要な法令が出された。いわゆる「週三日の賦役令」と男系男子による帝位継承だ。後者は、のちにロマノフ朝滅亡の一因にもなる。

 パーヴェルの政策の多くは、母帝への反感に発するものが多いが、この二つの法令も例外ではない。

 

 かけ声だけの「週三日の賦役令」 

 「週三日の賦役令」は、母帝が貴族に与えた様々な特権を制限しようとするものだった。「いかなる口実のもとでも、日曜日に農民に労働を強いてはならない…。週の六日間は、農民自身のための労働と、領主のためのそれとに等しく分けられる」という文面をみると、一応、日曜日の労働を禁止し、賦役、つまり領主のための強制労働を週三日間に限るものと解釈される。だが、その実施のための行政的措置はとられず、結局、勧告にとどまったので、実効は上がらなかった。

 しかも、彼の短い治世の間に、農奴の数は著しく増えており(寵臣への国有地の下賜などにより約60万人も増加している)、法令の趣旨とは裏腹の、パーヴェルらしい支離滅裂さがみられる。

 

 女帝の即位禁止 

 男系男子による帝位継承は、女帝の即位を禁ずるもので、これにより、リューリク朝以来の幼帝、女帝の擁立による権力争いの“伝統”は消えたが、反面、その複雑かつ厳格なルールにより、多くの皇族が帝位継承権を失った。これは、2月革命に際してのロマノフ朝崩壊の一因となった。