アレクサンドル・オストロフスキーの肖像。ヴァシリー・ペローフ
彼が生まれたのは、「川向こう」と呼ばれる地区で、クレムリンから見てモスクワ川の対岸にあり、商人と役人の住む街だった。彼の父は、裁判官を務めて世襲貴族になった人物。母は下級役僧(鐘つきなど教会の雑務を行う)の娘で、アレクサンドルがわずか7歳のときに亡くなってしまった。
継母は優しい教育ママ
5年後にアレクサンドルの父は、ロシアに帰化したスウェーデン人の男爵令嬢と結婚する。この継母は、子供たちを可愛がり、ヨーロッパ風の教育を熱心にほどこした。そのため、アレクサンドルは語学に堪能となり、ギリシャ語、ドイツ語、フランス語、英語、イタリア語、スペイン語を知っていた。
また父が蔵書家だったおかげで、ロシア文学に親しみ、作家を志すようになるが、父の希望で、1840年にモスクワ大学法学部に入る。
ところが43年に、教員の一人と口喧嘩して退学すると、またも父の希望で裁判所の書記となり、51年まで務める。
裁判所勤めはアレクサンドルには有難くなかったろうが、おかげで官吏の生活や世間の裏表に通じることになり、46年から劇作を始める。
「雷雨」、「雪娘」…
オストロフスキーは、商人、小役人、零落した未亡人など市井の暮らしを生き生きと描いたほか、史劇や民間伝承などを題材とした作品も書いている。
生涯に書いた戯曲は47篇にのぼり、その大半はいまだに上演されている。代表作は「雷雨」(1859)、「雪娘」(1873)など。
「雷雨」は、田舎町に住む商人の妻カチェリーナが主人公。彼女の夫は、無知で横暴な母親の言いなりで、不満が高じた彼女は不倫に走る。だが、町には噂が広まり、愛人は流刑に処せられ、カチェリーナは姑に責立てられて、ついに雷雨の夜にヴォルガ川に身を投げる。
「雪娘」は民話にもとづく叙情的で哀しい作品だ。雪娘といえば、現在はマロースじいさんの孫娘ということになっているが、この作品では娘である。若きチャイコフスキーが劇音楽を作曲し、のちに1881年にリムスキー=コルサコフがオペラ化している。
オストロフスキーは、晩年にはマールイ劇場の改革を推進し、付属演劇学校長も務めた。その大きな功績から、ロシア近代国民演劇の父とされる。
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