ロシアの魂を鷲掴みにした男

セルゲイ・ラフマニノフ(1873年4月1日~1943年3月28日)はとっくの昔にブランドになっており、その名を聞くと、誰もがそわそわする。音楽学校でせっせと勉強している生徒も、コンサートでラフマニノフの“ポピュラー名曲“を弾いて稼いだギャラでほくほくしているピアニストも、ピアノ協奏曲第2番の最初の和音で金縛りになる熱狂的なファンも。

 ラフマニノフは成功と亡命の運命を背負っていた。「人民の意志派」によるテロとアレクサンドル2世爆殺がロシア帝国を揺るがせていた時期、幼いセリョージャは、枝付き燭台のもとで、ようやくピアノのペダルの踏み方を習っていた。

 彼の詩的な心は、ノヴゴロド近郊の豊かな自然の懐でゆっくり成熟していったが、それは結局、10月革命後の1917年12月に、後年ボリシェビキに爆破されることになる、鐘楼の鐘の音を聞きながら、ロシアを永遠に後にするためであったかのようだ。

 

 クラシックの大衆化 

 アメリカに向かう、船上のラフマニノフを映した映像が残っているが、このスキンヘッドの中年男の、警戒したようなむっつりした表情が、いきなり、最近流行のガイ・フォークスのお面のようにニヤける。これをみると、彼がやはり期待でワクワクしていたのが分かる。彼の前には新世界での新生活が開けていた。それは彼を有名にしたが、不幸にもした・・・。

 ラフマニノフは言わば、ロシア音楽の田舎くさいアカデミズムの束縛を、その長い指で断ち切り、“処女性”を奪った。そして、ロシア音楽を20世紀初めの大衆の好みに合わせ、その口に遠慮会釈なく押し込んだのだ。

 彼は、ピアノのあらゆる威力を駆使して、いわゆる軽音楽を救うと同時に、クラシック音楽ファンのあり方も一変させてしまった。この点、後のビートルズ現象とパラレルな面がある。

 ラフマニノフは一財産築いた最初の作曲家だ。それも自作自演の録音で。

 

 救いがたい望郷のロマンチスト 

 とはいえ彼は、米国での亡命生活の最後まで、救いようのないロマンティストだった。カリフォルニアのハイウェイをレーシングカーで疾走し、轟音を聞きながら、ロシアの故郷の白樺を思い出して涙し、その涙を拭うために両手をハンドルから離したというのだから、大したものだ。

 のどかな夏の日、モスクワ郊外の屋敷にサモワールが並び、猟犬がはべって、貴族女学校の可愛い女の子たちとピアノを弾いた、あの故郷・・・。それとの別離を、彼は何としても受け入れることができなかった。

 さて、コテコテのロシア音楽を聴く用意はできましたか? それでは、どうぞ! 

 

 セルゲイ・ラフマニノフの5大ヒット 

 前奏曲ト短調 

 あなたを瞬時にクラシックファンに変身させられるメガヒット。だが、ラフマニノフ自身は、アンコールではこの曲を弾かなかった。カリフォルニアの酒場などからこの曲が漏れてくると、ご機嫌斜めになり、「みんな、俺はこれしか書かなかったと思ってるんだから!」とぼやいた。別に怒る必要はなかったのに。

 ピアノ協奏曲第2 

 天才的だが、またか!という向きもあろう。世界広しといえども、プロのピアニストでこの“音楽のモナ・リザ“をレパートリーに入れていない人はモグリだろう。いい加減耳タコだが、知らないのも恥ずかしい。

 

 ピアノ協奏曲第3 

 88鍵上でモータル・コンバットのフェイタリティを繰り出すような超難曲。スコット・ヒックス監督の映画「シャイン」(1996)に、この曲と悪戦苦闘して、精神に異常をきたす不幸なピアニストが見事に描かれている。また「ロッキー」を見るくらいなら、一度ご覧あれ、

 

 悲しみの三重奏曲 

 この魂が張り裂けるような“音楽のパニヒダ(法事)”を聴くには、ハンカチよりもタオルを用意すべきだ。ピアノ、ヴァイオリン、チェロによる三重奏曲で、熱烈に崇拝していたチャイコフスキーの死を悼んで作曲された。亡き偉大な作曲家の、音楽によるポートレートは、限りなく悲しく美しい。

 

 ヴォカリーズ 

 ヴォカリーズというジャンルは、母音だけで歌う、歌詞のない歌で、主に発声練習に用いられる。しかし、ラフマノフのそれは、類ない女性美についての「白鳥の歌」だ。ソプラノだけでなく、ヴァイオリンなどでも演奏される。見事な演奏だと嗚咽がこみ上げて来るので、ご用意を。