露米 アラスカ売却の条約に調印

=PhotoXPress撮影

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1867年の今日、3月30日に、ロシア帝国がアメリカにアラスカを売却する条約が調印された。

 ロシア帝国は主に、1799年に設立した国策会社「露米会社」を通じて、毛皮の採集、地下資源の採掘、交易のために、カリフォルニアを含む北米大陸西海岸に進出していった。アラスカ売却の話が持ち上がる19世紀半ばにおいても、露米会社の経営は順調だった。

 

現金と安全保障 

 しかし、クリミア戦争での敗北(1856年)による財政逼迫、アジア極東でのイギリスとの対立の激化などを受けて、ロシアはアラスカを、イギリスを抑止し得るアメリカに売却して、極東の開発と防衛に集中することを考えるようになった。売却により利潤を得て、足元の安全保障を強化するという一挙両得をねらったわけだ。

 ロシアは1959年から米国にアラスカ売却を打診し始めたが、南北戦争により交渉はいったん中断する。

 

「巨大な冷蔵庫」から資源の豊富な、戦略の要衝に 

 1867年3月に、売却価格は、720万ドル(1871年当時は1ドル=1円)、単価は、1エーカー当たり約2セント(1エーカー=約4047平方メートル)という「二束三文」で、売却する条約が結ばれた。

 米国にとってアラスカ購入は、今でこそ外交上の大成功だが、当時は、「巨大な保冷庫を買った」などと言われ、不評だった。

 だが、次第に金、石油などの豊かな地下資源が発見され、戦略的にも重要な意味をもつようになり、評価は180度変わることになる。