ニコライ・スクリフォソフスキー
スクリフォソフスキーは、ヘルソン県(現沿ドニエストル・モルドバ共和国に位置する)の子沢山で貧しい貴族の家庭に、9人目の子供として生まれ、幼時にオデッサの孤児院に送られた。
子供の頃から医師を志し、オデッサのギムナジウムを卒業後、モスクワ大学医学部に入学し、外科学を専攻した。
彼は、普仏戦争、露土戦争(1877~1878)などで軍医として治療に当たり、経験と研鑽を積む。
たちまち優れた外科医となり、40歳すぎた頃には、その名は外科医ニコライ・ピロゴフと並び称せられるようになっていた。
人間味豊かな人格者
非常な人格者として知られ、誰も彼が声を荒げたり激したりするのを見たことがなかったというが、反面、繊細で感情豊かな人物であり、人生最初の手術では(当時はクロロフォルムの麻酔なしで行われた)、ショックで気絶したという。
筋を通す剛直な面もあり、外科医ピロゴフの記念碑の建立をモスクワ市が許可しなかったときは、皇帝ニコライ二世に謁見して、許可を得た。これはロシアにおける学者の記念碑第1号となった。
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