エレナ・グリンスカヤ
イワン雷帝の生母エレナ・グリンスカヤは、イワン3世の2番目の后で、最初の后ソロモニヤは不妊を理由に離婚された。彼女の叔父ミハイル・グリンスキーは有力な政治家で、グリンスキー家は、キプチャク・ハン国のママイの流れをくむとされていたが、イワン3世は、教会の猛反対にもかかわらず、エレナの美貌に惹かれて結婚に踏み切ったという。
イワン3世は死に際し、何人かの貴族たちに息子の後見を委ねたが、エレナは、彼らから権力を奪い、幼い息子(イワン4世)の摂政となる。
しかし、寵臣イヴァン・オフチーニン=テーレプニェフ=オボレンスキー公の重用など、彼女の強引な政治手法は反感を呼んだ。
エレナは、自分に批判的な叔父ミハイルを処刑したのをはじめ、反対派を次々に排除していく。
通貨改革断行、そして毒殺?
エレナは対外的には、1536年に、当時は大国であったリトアニアと和平条約を結び、強国スウェーデンとの関係を安定させる一方、内政では、通貨改革を断行した。
通貨改革の内容は、当時流通していた劣悪な貨幣、一部を切り取られたり破損したりしていた貨幣や古い貨幣などを回収し、造幣局で鋳造した銀貨のみを流通させるというものであった。要するに、単一通貨の導入だ。
通貨単位としては、コペイカ、ジェニガ(半コペイカ)、ポルシカ(四分の一コペイカ)が導入された。コペイカの名は、貨幣に槍(コピヨー)をもつ騎士が描かれていたことに由来する。ジェニガには、サーベルをもつ騎士が、ポルシカには鳥が描かれていた。
ルーブルは、当時は単位として存在していただけで(1ルーブル=100コペイカ=200ジェニガ)、貨幣は存在しなかった。これは、当時の比率でルーブル銀貨を鋳造すると68グラムにもなるため。
この単一通貨の導入は、経済の安定に寄与したが、それからほどなくエレナは30歳足らずの若さで亡くなった。政敵による毒殺説もある。
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