「ムミー・トローリ」のリーダーに聞く

有名な音楽家で、ロシアのロック・バンド「ムミー・トローリ」のリーダーを務めるイリヤ・ラグテンコ氏(44)は、帆船「セドフ」号で世界の旅を続け、新しい英語版アルバム「ウラジオストク(Vladivostok)」をプロモーションしている。ラグテンコ氏は東京で2月28日に開催された、ロシースカヤ・ガゼタ(ロシア新聞)と毎日新聞の共催日本・ロシアフォーラム「ビジネス、技術、文化の接点」の文化分科会にも参加した。

-「セドフ」号の旅はどうなっていますか。長崎ではどのように住民が出迎えてくれましたか。ライブの感想はいかがですか。

 旅はそのまま続けています。長崎の人々は、龍踊り、伝統楽器による児童オーケストラ、学校の管弦楽部で出迎えてくれました。管弦楽部は「スーパーマリオ」ゲームの音楽を、クラシック風に演奏していました。このように、文化交流をしました。ただ本当は今日、船の上でライブをする計画だったのですが、突然雨が降り出したので、ちょっとしたデモ演で終わってしまいました。

 

-モスクワから極東に戻って生活する計画を立てているというのは本当ですか。それはなぜでしょうか。また、極東が環太平洋で重要な地位を築き、ロシアのビジネスや文化の拠点のひとつになるという現実的な可能性を信じていますか。

「ムミー・トローリ」とイリヤ・ラグテンコさん(44)

ロックグループ「ムミー・トローリ」は、日本でも人気のロックグループの老舗で、札幌でのライブ公演の模様はNHKでも衛星中継された。 1983年にウラジオストクで結成され、かつてソ連当局に「最も危険なバンド」のレッテルを貼られた。ヒット曲に「ウラジオストク2000」など。 ボーカルのイリヤ・ラグテンコさんは、極東国立大学(現極東連邦大学)卒の元々は中国専門家で、日本関係の著書もある。ミュージシャンたちは、帆船セドフ号で航海しながら新しいアルバムをレコーディングしている。

ずっと前からウラジオストクの特別な歴史的意義を信じていました。それは極東大学東洋学部で学んでいた頃の話です。以前は、私の意見は極東の政策と合わなかったのですが、時がすべてをあるべき形にしています。環太平洋の現状は、偶然が重なった好機で、これを逃す手はないと思っています。

 かつてモスクワで何らかの感情の高揚や創造がなされたことがあったとしても、今では悪名高いモスクワの渋滞さながらに、停滞しています。ウラジオストクではまったく逆で、いろんな批判はありましたが、新しい道路インフラが整備され、住民ですら想像もつかないような、驚くべき効果を生んでいます。私自身の経験から自信を持って言えることは、環太平洋の影響で、ウラジオストクには極めておもしろく、多様で、比類なき未来が待っているということです。

 

日本・ロシアフォーラムは、特に文化の面で、両国の関係発展につながると思いますか。より魅力的で将来性のある文化の接点とは、どのようなものだと思いますか。
 北欧、オーストラリア、カナダとは違い、ロシアではこのような行事が行われたことはありません。文化的行事を国が支援したのは、初めてのことです。このような行事は、現代音楽も含め、輸出の可能性を生みます。日本とロシアは、地理的にも気候的にも、非常に近いです。これは互いを良く理解するに十分ですよ。

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