恐怖体験「パラシュートが開かない!」

=コメルサント紙撮影

=コメルサント紙撮影

チュメニ州のユーリア・エヴドキメンコさんは、800メートル強の高さからパラシュート降下したものの、主傘も予備傘も開かないまま着地した。この状況で一命を取りとめ、普通の生活を送ろうとしていることは、奇跡に他ならない。

7秒間に見えた世界 

 エヴドキメンコさんは今から2年前(当時19歳)、オスタンキノTV塔を2つ重ねたぐらいの高さ(東京スカイツリーの上に丸の内ビルディングをのせたぐらいの高さ)から、猛烈な勢いで落下した。装着したパラシュートが普通に開いていれば、降下時間は標準的な4分半ほどになっていただろうが、着地までわずか7秒というスピードだった。運良く水たまりに落ちたことで、奇跡的に一命を取りとめることができた。

 このニュースは当時、テレビ、新聞、インターネットで話題となり、エヴドキメンコさんは全国的に知られる存在となった。今はそのような騒ぎも収まり、普通の大学生として静かに過ごしている。チュメニ市中心部を一緒に歩きながら、靴屋に入ってみる。ブーツを見ながらため息混じりにこう言う。「こんなヒールがついた靴はもう履けなくなってしまったの」。エヴドキメンコさんは脊椎を損傷し、椎骨3本の代わりにインプラントが入れられたため、医者は2キログラム以上の重さの物を持つことを禁じた。

 

高所恐怖症の特効薬

 エヴドキメンコさんは、他の多くの人と同じように、子供時代から空を飛ぶことを夢見ていた。

 「小さい頃は空や雲に近づきたいと思っていた。高いところに行って、上から地上を見て、鳥のような気分を味わいたかった。タンポポみたいに空に飛ぶんだって考えていたけど、大人になってもこの夢は消えることはなかったの。たくさんの友人がパラシュート降下を何度もやっていたので、自分もそろそろ試す時が来たって思った。高所恐怖症だったから、それを克服したいというのが飛ぶことを決心した理由の一つで、空間に飛び込めば、あとは速度、風、雲を感じるだけで、恐怖心が消えるんだろうと思ってた。安全については100%確信していて、飛ぶということはコーヒーを飲むぐらい簡単なことなんだろうと楽観視してたの」。

 

運命の警告? 

 エヴドキメンコさんは2010年7月3日、チュメニ市から300キロメートルに位置する、ウヴァト村に出発した。道中、車が故障したり、交通事故で通行止めの箇所があったりと、いろいろなことが起きていたという。しかしそんな”妨害”もなんのその、気にせずに目的地を目指した。今ではそれは間違いだったと考える。

 「飛行機に乗って窓の外を眺めていた。高度800メートルに到達した時にドアが開け放たれて、1人ずつ飛び始め、私は3番目に飛んだ。最初の数秒間は幸福と飛行の喜びに満ちていたけど、30まで数えても、説明されていたパラシュート開傘の衝撃とか、上昇とかが起こらなかった。上を見上げたら、開傘してないの。想像できる?!この5~6秒間で予備傘を開こうとしたけど、斜め下に飛び出ただけで、こっちでも開傘による上昇は起こらなかった」。

 

落下しながら“走馬灯”を見る

 「死ぬ前って、それまでの人生が走馬灯のようによみがえるってよく言うけど、私の頭の中でも瞬間的にこれが起こったの。でもその後すぐに、バカだなぁ、すっかり死ぬつもりになってるなんてって思った。地上めがけてまっさかさまに落ちながら、小さな木々がどんどん大きくなって、近づいてくるのを感じた」。着地する数秒前、恐怖でパニックになるわけでもなく、死を冷静に受け止め、むしろそれはどんなものなのかという好奇心までわいてきたという。

 一緒に現場の野原を歩きながら、アスファルトの道路、家、電線、林などに激突した可能性もあったが、まるでおとぎ話の奇跡のように運良くそれを免れたと、エヴドキメンコさんは語ってくれた。野原周辺には家や林があり、水たまりは膝ほどの深さで直径2~3メートルのものが、1ヶ所ポツンとあるだけだ。たった1ヶ所しかない水たまりにピンポイント落下できたのは正に奇跡だ。

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運よく小さな水たまりに落ちる

 「着地した時、意識はまったく失わなかったけど、不思議なことに、自分がどこにいて、なぜここにいるのかということがわからなくなってしまったの。その後自分がどこかを泳いでいることがわかり、おぼれるんじゃないかと心配になったわ。手足が動くか確認して、まず座ろうとしてみた。アドレナリンがちゃんと仕事してくれたみたいで、痛みは感じなかった。と同時に人々が叫びながら私のまわりに集まってきて、『生きてる、動いてる!』なんて言ってた」。

 州立病院にヘリコプターで移送されたのは、実に翌日のことだった。通常これほどの高さから落下すると人間は生存できないが、エヴドキメンコさんは内出血もなく、歯の損傷もなかったため、どの医師も驚きを隠せなかった。九死に一生を得た理由は、若いこと、スポーツをやっていること、そして強運に恵まれたことだと医師らは説明する。エヴドキメンコさんは脊椎の手術でインプラントをはめ、その後長期間入院していた。

 

幸運をもたらす女神

 エヴドキメンコさんはその後、まわりから強運の持ち主、ツイてる人などと考えられ、一部の人にはお守りのように幸運をもたらす人だと信じられるようになった。「最初の半年間はお祭り騒ぎだったわ。事業をやっている知り合いは私の手を握りにきたりとか。『明日はビジネスがあるから、幸運をもらいに来た』なんて」。

 エヴドキメンコさんはこの奇跡の体験をした後、人生を少し違う目で見るようになったという。これまで当たり前だと思っていたことの価値を感じるようになり、自分の人生の優先順位も変わった。

 

人生観が変わった 

 「以前はノートパソコンがない、最新の携帯電話がないなんて嘆いていたけど、今は体の不自由な人々を見ながら、本物の幸せとは別のものだということをすごく実感できるようになった。おしゃれな服や電子機器を持つことが幸せなんじゃなくて、動けること、友だちと歩けること、笑えること、人生を喜べることが幸せなんだって。自分自身が以前よりずっと優しくなったとは思わない。より良い人間になろうと、以前より努力するようになったこと、それが変化したところかな。『善は急げ』っていうことを突然理解できるようになった。そしてあの時私を生かしてくれたこと、困難な時に支えてくれるような家族や友人がいることを、神に感謝することも忘れてはいけない。デール・カーネギーは『運命があなたにレモンを与えたら、レモネードを作りなさい』と言ってたわね。私に子供が生まれたら、お母さんは言うことをきかないで、宿題をやらず、家の手伝いもしなかったから、飛行機から落されたのよって、しつけをする時に話せるわ。いかなる時も気を落してはいけない。すべてが何とかなるものだから。自分を信じてさえいれば、開かないパラシュートだって怖くはないわ」。

 

記事全文(ロシア語)

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