トゥーラ兵器工場創設

トゥーラ兵器工場産の兵器はデザインの美しさで有名になった。=ロシア通信撮影

トゥーラ兵器工場産の兵器はデザインの美しさで有名になった。=ロシア通信撮影

1712年の今日、2月26日に、トゥーラ兵器工場が、ピョートル1世の命令で創設された。以来、モスクワの南方165キロにあるトゥーラは、瞬く間に兵器生産の中心地となり、独ソ戦当時は、ソ連最大の造兵廠として軍を支えた。有名な自動小銃カラシニコフ(AK-47)も、設計者ミハイル・カラシニコフによりここで造られている。

 高品質で美しいデザイン 

 草創期のトゥーラ兵器工場は、ロシア軍のために銃砲と刀剣を作っていた。銃砲は、古来より刀剣で名高いダマスカス鋼で作られ、高品質であった。

 機械も高性能なものが使われ、砲身の穿孔、加工は、水力を動力とした機械で行われた。

 同じく18世紀に、ヤコフ・バチシチェフ1日あたり16の砲身を急冷して白色硬鋼とする機械を設置している。当時は、この作業は手作業で1日につき2砲身しか仕上げられなかった。

 トゥーラ兵器工場産の兵器はデザインの美しさでも有名になり、注文はうなぎのぼりに増えていった。

 

 独ソ戦では要塞化 

 独ソ戦に際しては、このソ連最大の造兵廠は周囲を要塞化して守られた。電撃作戦の生みの親であるハインツ・グデーリアン率いる第2装甲軍がモスクワをうかがいつつ、トゥーラを攻めたが、撃退されている。

 現代もトゥーラ造兵廠は、軍用のみならず狩猟、スポーツ用の銃砲まで、さまざまなユニークな兵器を生産している。