ロシアのロマノフ朝最初の君主、ミハイル・ロマノフ 写真提供:wikipedia.org
ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフ(1596~1645、在位1613~1645)は、ロシアのロマノフ朝最初の君主だ。父はモスクワ総主教フィラレート。
ツァーリに選ばれる前、ミハイル・ロマノフは、母とともに、コストロマのイパチェフ修道院に隠棲していた。父がボリス・ゴドゥノフに失脚させられたためだ。
ボリスの死と動乱時代
ボリス・ゴドゥノフは、権謀術数でリューリク朝を断絶させ、ツァーリにのし上がった。
彼は政治家としては極めて有能で、施策に見るべきものがあったが、この「どこの馬の骨ともわからぬ男」が死ぬと、たちまち、ぽっかりと権力の空洞が生じることになった。ポーランドなど外国軍の干渉を招き、首都モスクワも占領され、ロシアは地方政権が分立する分裂状態に陥った。いわゆる動乱時代だ。
全国会議でツァーリに選ばれる
1612年、国民軍は、ポーランド軍に勝利し、モスクワを奪回。人民も参加した全国会議(ゼームスキー・ソボル)で、ミハイル・ロマノフがツァーリに選出され、動乱時代は終わった。
彼が選出されるに際しては、リューリク朝の姻戚であること、まだ16歳の少年で、外国と結んだ「汚い過去」がなかったことなどが考慮された。
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