目の不自由な子どもたちに演劇の喜びを

 作家ミハイル・ブルガーコフの文学博物館「ブルガーコフ館」に所属する劇団が、目の不自由な子供たちのために“5次元演劇”を始めた。ブルガーコフ(1891~1940)は死後、長編『巨匠とマルガリータ』(1968)などで世界的に知られることになるが、スターリン時代に失意のうちに亡くなり、晩年は失明していた。

 作家のクセニヤ・ドミトリエワさんはある日童話を書き、「ブルガーコフ館」の演出家であるエカチェリーナ・ネグルツァさんに、そのシナリオを目の不自由な子供のための演劇として作成できないか尋ねた。ネグルツァさんは興味を示し、インターネットで同様の演劇がないか探してみたが、何も見つけることができなかった。それどころか、そのような子供たちに関する悲しい話ばかりでショックを受けた。「発達が遅れる、ふさぎこんでしまう、人との接触を避けるなんて書いてあったわ。生まれた時から、自分の体と、どこからともなく聞こえてくる音以外に何もないって状況を想像してみるようにしたの」。

 

モスクワの第1寄宿盲学校を訪ねる 

 劇団は状況をしっかりと理解するために、モスクワの第1寄宿盲学校を訪ねた。現実を目の当たりにして、俳優らはさらなる衝撃を受けた。悲しい情報とは裏腹に、子供たちは明朗で、話し相手に強い好奇心を示し、年相応の冗談まで飛ばしていたからだ。子供たちは一緒に生活し、学び、楽器を演奏し、絵を描き、そして客人を喜んで歓迎する。

 「限られた可能性の中で、自分の内なる世界にしっかりと注意を傾け、創作的な表現をすることをためらわないようだった。音楽の授業では一緒にグリーグを聴いたけど、その後で1人の男の子がすっくと立ちあがって、この曲から朝と洞くつをイメージしたと言ったの。普通の学校だったら、何言ってんだ、なんて頭を小突かれるわね」とネグルツァさん。

 

暗闇に現れる雲と微動だにしない観客

  演劇「ヴォルケ」(ドイツ語で雲の意)の主役は、大人としての第一歩を踏みだそうとする少年で、そのために魔法の雲と一緒に旅をする。

 劇団員は目の不自由な大人の観客を目の前に最後の稽古をしたが、緊張しすぎて失敗を覚悟せざるを得なくなった。劇の進行とともにあきらめにも似た状況に陥り、観客の反応すら頭に入ってこなくなった。劇団員は舞台が終わった後の否定的な意見を予想していたが、聞こえてきた感想は意外にも良く、驚いた。

 それでも20人の子供たちを実際に目の前にすると、緊張はさらに増した。「ある日のこと・・・」というセリフから演劇が始まると、子供たちはそれまでにぎやかだったのに、瞬時に集中し、しーんとなった。この子供たちをがっかりさせるのではないかと怖くなった。

} 

素朴な方法で超リアルな効果

 「ブルガーコフ館」の新しいプロジェクトは、案内ガイドから始まった。子供たちを階段で出迎え、展示室を案内し、展示品に触れさせ、古い電話で電話をかけてもらい、博物館に住む大きな猫をなでさせたりした。それでも劇団についてすべてを話す時間までは取れなかった。

 演劇は観客の手が届く距離で行われた。俳優らは観客席の間を歩き、シナモン入りのティーポットを好奇心いっぱいの子供たちの鼻に近づけ、まるで魔法使いがわきを飛んでいったかのように、毛皮で軽くほっぺをなでた。それぞれの俳優が順番に語り部、そして劇の登場人物になり、得意な効果音を発した。稽古の時に、「人が踏む雪の音」をだせる、才能のある団員がいることが判明したのだ。

 

5次元演劇だ! 

 「子供たちが起こっているできごとを『観て』、息をのんだり、あっと驚いたりできるような雰囲気をつくるため、できることをすべてやった。昼と夜の移り変わりを感じられるように、照明を激しく切り替えたり、川の水しぶきを感じられるように、霧吹きで水をかけたりした。劇が終わった後、子供たちが5次元演劇だったって叫んだの。それを聞いてほっとして胸をなでおろした。これを目指してきたから」と、ネグルツァさんは思い出しながらまたため息をつく。

 子供たちは家でこの童話をまた聴けるように、そして学校で印象を絵に描けるように、演劇を録音した。「子供たちはとても元気づけられた。川も桃色の雲も感じとれていて、一人の生徒は劇場で触った主人公の帽子を絵に描いた」と、この学校の教師のナターリア・モロゾワさんは話す。

 劇団は最初の演劇を終えると、目の不自由な子どものための演劇は、観客との心の交流なしには実現不可能な、特別なジャンルだということに気づいた。「眠気」という言葉で子供たちがあくびを始めるなど、子供には物理的作用を及ぼすため、プロの熟練技や言葉への多大なる注意力が必要になる。

 他の学校から子供たちを招き、出張演劇を行い、盲学校に無料配布するための音声CDを録音するなど、今後の計画は盛りだくさんだ。

 「ひとつわかったこと、それは機械的な冷たい演劇ではだめだということ。規模を拡大して、レパートリー化するのは不可能。技術的にもっと大きな効果を出せるような、大舞台の完全なショーにすることも可能だけど、それではまったく違うものになってしまう」とネグルツァさんは説明した。

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる