「マリインスキー2」 =ロシア通信撮影
マリインスキー劇場は、1783年7月12日に創設された、伝説的なオペラとバレエの専用劇場だ。ロシア帝国の皇族劇場のひとつで、1860年にアレクサンドル2世の妻であるマリア・アレクサンドロヴナ皇后の「マリア」から、「マリアの」を意味する「マリインスキー」と名づけられた。ソ連時代は、ソ連国立レニングラード・キーロフ劇場という、異なる名称で呼ばれていた。
市民が新館撤去の署名集め
サンクトペテルブルクと一部モスクワの市民は、この新館の建設工事に断固反対しており、ほぼ完工しているにもかかわらず、新館の撤去を求めて署名集めをするなど、激高した状態にある。
新館の建設計画は、国際建築設計コンペが行われた、2003年から具体的に動きだした。このコンペでは、大きなドーム形の未来的なデザインを提案したフランス人建築家、ドミニク・ペロー氏が優勝したものの、技術面で不合格となり、ペロー氏との提携は取り消された。2006年にその部分を補う設計のコンペが再度行われ、カナダの建築事務所ダイアモンド・アンド・シュミット(Diamond&Schmidt)が、ペロー氏の設計を基礎とした建物を考案し、優勝した。
サンクトペテルブルク中心部の1区画を丸ごと占める新館は、歴史的なマリインスキー劇場の本館の建物に近接しており、2つの建物は、クリュコフ運河を横断する通路橋でつながっている。
膨らむ建築費
新館は設計から建設までの期間で、世界でもっとも高額な劇場のひとつに変わって行った。2003年に100億ルーブル(約300億円)だった建設費は、2012年初めには160億ルーブル(約480億円)となり、最終的な金額は220億(約660億円)に達する見込みだ。5月に開館予定となっている。
少し保守的で幾何学的な新館の建物は、サンクトペテルブルク中心部の標準的な古典様式とは明らかに異なっている。評論家は新館を、オペラ劇場ではなく、ショッピング・センターのようだと形容した。
ピオトロフスキー館長は、書簡でこう伝えている。「劇場で重要なのは、内部の構造と設備だ。いずれにしても、反対運動を起こすなら、完成するまで待つ必要がある」。
ゲルギエフ氏は「満足」
世界的な指揮者である、マリインスキー劇場のワレリー・ゲルギエフ芸術監督は、この建物を気に入っているという。劇場は特別に記者会見を開き、ゲルギエフ氏は、2012年12月末に行われた最初の音響試験の結果に、満足していると述べた。
「第一印象はとても良い。合唱団、ソリスト、オーケストラと、どれをとっても音が非常に澄んでいてきれいだ。自分で指揮を取り、その後平土間の最後列の席でコンサートを聴いてみた。今後を期待できる出だしだと思う」。外観については、今評価することは時期尚早だとした。「まだ結論を出すには早い。ガラスの階段、街の中心部を包み込むような、内と外のムードを醸し出すイルミネーションはまだ設置されていない」。
「5段階中3か3+ぐらい」
ロシア通信が取材を行ったサンクトペテルブルクの建築家らは、冷静にとらえている。
建築会社「B2」のフェリクス・ブヤノフ社長はこう話す。「新館は5段階中3か3+ぐらいだ。建物は位置している場所の雰囲気を壊してはいないし、規模も妥当だし、不格好でもない。ただ外観のソリューションには、もう少し華やかさがほしい。新館に本館ほどの格式があってほしい」。ブヤノフ社長は当初、ペロー氏の設計を支持していたという。「あの設計は、サンクトペテルブルクの建築だけでなく、ロシア全体の建築にとっても画期的なものだったのに、実現されなかった。これは歯がゆい」。
建築会社「リテイナヤ・チャスチ91」のラファエリ・ダヤノフ社長は、新館を極めて機能的だと話した。「これは機能だけの建物だから、建築様式について話をする必要はなさそうだ。優れた音響効果、舞台、ホールになっているのだろう。建築様式や周囲との調和、あるいは建築上のセンセーションは、特にないし、初めから想定されてもいない」。
*マリインスキーの公式サイトおよびロシア通信の以下の記事を参照
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