船長ウラジーミル・ヴォローニン、ソ連時代のポストスタンプ 写真提供:wikipedia.org
チェリュースキン号は、デンマークの造船所の建造で、1933年に進水し、ロシア帝国の極地探険家セミョーン・チェリュースキンにちなんで命名された。
流氷とともにあてどなく漂流
1933年8月2日、チェリュースキン号は、隊長オット・シュミット、船長ウラジーミル・ヴォローニン以下 112 名を乗せて、ムルマンスクからウラジオストクに向けて出航した。
9月にチュクチ海に達したが、海面を覆う海氷群に遭遇し、9月23日には船は海氷に完全に閉じ込められてしまった。
チェリュースキン号は、流氷とともに実に5ヶ月にわたって漂流を続けた結果、11月4日にベーリング海峡に達した。
ところがその後、不運にも北西方向に流され、翌年2月13日、チュクチ海沖で、巨大な氷塊と衝突し、沈み始める。
間一髪の脱出
それまでにも似たような状況を経験していた乗組員は、すばやく氷上に脱出したが、乗員一人は貨物にぶつかり亡くなった。
脱出に際し乗員は、氷上に避難所を仮設するために、レンガや板などの資材も持ち出すことができた。避難した乗員の数は、それ以前に寄港地で下船していた者数人をのぞく、104名である。
事故の2日後にモスクワで、救助のための委員会が組織され、救助は航空機で行われることになったので、遭難した乗員たちは、わずかな数のスコップやバールで、氷上に滑走路を造り、救助を待ち続けた。
ついに、3月5日に最初の飛行機が飛来し、まず女性と子供を救助したあと、4月13日までに24回の飛行を繰り返し、全員が救助された。
チェリュースキン号は、2006年にチュクチ海の深さ50メートルのところに沈んでいるのが発見された。
ロシア・ビヨンドのニュースレター
の配信を申し込む
今週のベストストーリーを直接受信します。